富永啓生『楽しまないと もったいない』

富永啓生、最終学年のマーチ・マッドネス 初戦で「涙」も、主役になったスリーポイント・コンテスト

ダブドリ編集部

スリーポイント・コンテストで拍手喝采を誘う

 マーチ・マッドネスで敗退したあと、僕は二つのイベントに招待を受けた。トーナメントのファイナル・フォー、つまり準決勝に合わせて開催されたスリーポイント・コンテストとオールスターゲームだ。

 当然のことながら初めてのことなのでどんな雰囲気なのか手探りだったが、蓋を開けてみれば非常に緩い空気感のイベントだった。

「楽しまないともったいない」と言うよりは「楽しむ以外の選択肢がない」といった感じだ。スリーポイント・コンテストではファーストラウンドの一球目を投げる前にほんの少し緊張したが、シュートを打ち出したら平常心が戻ってきた。

 スリーポイント・コンテストのように連続で同じ距離のシュートを打つとき、僕が大事だと思っているのが集中力だ。

 ある程度のシュート力があることは前提だが、集中力さえ持続していれば、シューターにとって同じ距離のシュートを連続して決めるのは簡単なことだ。邪念にとらわれず集中して打つ。それがこうしたコンテストで好成績を残す秘訣だと思う。

 ファーストラウンドは開始のブザーに気づかず出遅れたが、最後のボールを手にした時点では6秒以上時間が余っていた。

 そこで僕はドリブルをつきながらクロックが進むのを待った。実はこの日のために用意してきたネタがあったのだ。

 シュートを打たない僕に、周りにいた他校の選手たちも「おいおい、何をするつもりだ?」と聞いてくる。ゲームクロック残り1秒余り、僕はシュートを打つと、その結果を見ずにターンして客席の方へ体を向けた。僕のアイドル、ステフィン・カリーのシグネチャー・ムーブだ。

 シュートが決まった瞬間、客席から拍手喝采が沸き起こった。ネブラスカにいた時に思いついたネタで、絶対にやってやろうと思っていたから、無事に沈めることができて良かった。

 セミファイナルではオハイオ・ステートのジェイミソン・バトルと対戦した。セミファイナルは二人同時にコンテストを行うので、正確に相手のスコアを把握することはできない。

 しかし、最後のマネーボールを手にした時点で観客の反応から接戦であることは伝わった。ジェイミソンのラストショットが外れたのを雰囲気で感じながら、僕は最後の一投をしっかりと沈めた。後から聞いたら結果はなんと一点差。ジェイミソンのシュートが入っていても、僕のシュートが外れていても負けていたのだ。

 そんな僅差のセミファイナルを制して進んだファイナルでは、残念ながらあまりシュートが入ってくれなかった。しかし、僕は焦らずに打ち続けた。ファイナルはセミファイナルとは違って順番にコンテストを行うので、相手の得点がわかっていたのだ。先にコンテストを終えたホフストラのタイラー・トーマスはタッチが悪く、17点にとどまっていた。

 最終ラックの途中でタイラーの点数を追い抜くと、最後のボールはまたクロックを消化し、今度はめちゃくちゃに高いアーチのシュートを放ってみたが失敗した。観客を盛り上げたいとは思うがスリーポイント・コンテストというフォーマットの中でやれることも少ない。

コーチ・フレッドに感謝

 さて、優勝して喜びに浸っていたが、その後ハプニングが起きた。40分ほど経ってから呼び出され、女子のチャンピオンとスリーポイント・コンテストで勝負することになったのだ。どうやらプログラムには書いてあったらしいのだが、見落としていた。40分間何もしていなかったので体がカチコチに固まっている中、勝利することができたのは幸いだった。

 改めてウォーミングアップの重要性を確認することになったわけだが、なんと翌日のオールスターゲームにいたってはそもそもウォーミングアップの時間が用意されていなかった。

 事前のインタビューではリップ・サービスでスリーポイントを5本入れたいなどと話したが、ストレッチの時間もウォーミングアップの時間も無い当日のスケジュールを見て、怪我をしない程度に楽しむという目標にシフトした。

 ネブラスカに帰ると、ネブラスカ州議会が僕のスリーポイント優勝を讃える議決をしたり、州知事が僕にネブラスカの日本親善大使とネブラスカ州海軍提督という称号をくれたりと、表彰ラッシュとなった。

 僕は賞や名誉に執着しないタイプだが、第二の故郷だと思っているネブラスカ州からこうして愛を形にしてもらったのは嬉しく思っている。

 振り返れば、ネブラスカでの三年間は幸せだったと断言できる。

 最後の試合の後、フレッドに「三年間ありがとう、君はネブラスカのバスケを変えてくれた」と言われた。

 しかし、感謝をするのは僕の方だ。

 ソフモア・シーズンこそベンチを温める辛い時期もあったが、ジュニア・シーズンの途中からフレッドの信頼を獲得して、アメリカでも自分のスタイルが通用すると証明することができた。さらに、最終学年だった今シーズンはマーチ・マッドネス出場という目標も叶った。

 フレッドと共に最高の舞台に立てたのは本当に嬉しかったし、フレッドには感謝してもし切れないぐらいだ。

 だからこそ、フレッドがビッグ10カンファレンスのコーチ・オブ・ザ・イヤーを獲ったのは、自分がもらったどんな賞よりも嬉しかった。

 コーチとしてのフレッドの偉大さは、選手の強みを引き出すことにあると思う。選手個人に対してもそうだし、ラインナップごとの良さを引き出すのも上手い。

 フレッドの下でプレーしたからこそ今のようなプレーヤーになれたと僕は思っている。フィジカルの強化やスキルの上達はもちろん、内面的にも成長することができた。

 自分のリズムではない時間帯でいかに我慢できるか。チームメイトとどのようにコミュニケーションをとるか。そういった内面的な成長は、フレッドのおかげで得られたものだと思う。

書籍紹介

【写真提供:ダブドリ】

 2018年のウインターカップで平均39.8得点という驚異の数字を残し、大会得点王となった富永啓生選手。

 その後はアメリカ留学を決断し、コミュニティ・カレッジのレンジャー・カレッジを経て、NCAAディビジョンIのネブラスカ大学に転入しました。

 本書はそんな富永選手がネブラスカでの挑戦を軸に、日本代表に懸ける情熱や家族の大切さなどを綴った初の自叙伝となります。

 最終的にはエースとしてネブラスカ大学をカレッジバスケ最高峰の舞台NCAAトーナメントに導いた富永選手ですが、そこまでの道のりは平たんではありませんでした。

 失意に終わった加入初年度から翌年の躍進の裏で何が起きていたのか。エースとなった最終学年に、どのようにして全米1位のパデュー大学を倒したのか。こうしたアメリカにおける成長物語と、幼少期やウインターカップ、ワールドカップなどのエピソードが交差することで、天才シューター富永啓生の思考を立体的に理解することができます。

 日本人4人目のNBA選手となることが期待される富永選手を、より深く知ることのできる本書。バスケファン必読の1冊です。

出版社:株式会社ダブドリ

2/2ページ

著者プロフィール

異例の超ロングインタビューで選手や関係者の本音に迫るバスケ本シリーズ『ダブドリ』。「バスケで『より道』しませんか?」のキャッチコピー通り、プロからストリート、選手からコレクターまでバスケに関わる全ての人がインタビュー対象。TOKYO DIMEオーナーで現役Bリーガーの岡田優介氏による人生相談『ちょっと聞いてよ岡田先生』など、コラムも多数収載。

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