湘南を離れ、町田での新たな争いを求めた杉岡大暉。もがき苦しみ、自分を見失いかけた先でやっと見つけた理想のSBとは

原田大輔

この夏に町田ゼルビアに加入した杉岡大暉 【©️FCMZ】

 ピッチに立ってからわずか1分半だった。

 前線でミッチェル・デュークがキープすると、杉岡大暉は左サイドを駆け上がっていく。ボールを受けると、得意の左足でゴール前にパスを送った。ボールは相手DFに当たってCKになったが、決意や思いは、味方を追い越す動きと、ためらうことなく蹴ったクロスに凝縮されていた。
「起用に応えるためにも、ピッチに立ったら、あとは思い切りやるだけでした」

 7月16日に湘南ベルマーレからFC町田ゼルビアに期限付き移籍した杉岡は、4日後に国立競技場で行われた横浜F・マリノス戦(J1第24節)でメンバー入りする。

 0-2の劣勢で迎えたハーフタイムに、黒田剛監督から声が掛かると、後半開始から左SBとして出場した。

「加入して数日しか練習もしていなかったので、まだ自分を起用しにくいところもあるのではないかと思っていました。加えて同じポジションの(林)幸多郎はずっと試合に出ている選手なので、そう簡単に自分はチャンスをもらえないだろうとも思っていました。でも、声が掛かったときは、追いかける展開だったので、ある意味、試合に入りやすい状況でした。だから、『やるしかない』と、とにかく積極的にガンガン攻めようと思っていました」

 その姿勢が47分の攻撃参加だった。杉岡はその後も積極的に左サイドを駆け上がると、何度もゴール前にクロスを供給した。

合流直後のマリノス戦で途中出場し、得意のクロスでチャンスを演出 【©️J.LEAGUE】

 45分ではあったが、そのプレーには、182cmの身長以上に感じるスケールの大きさとダイナミックさ——左利きの左SBである特徴と魅力が詰まっていた。

 結果的に1-2で敗れ、町田でのデビュー戦を勝利で飾ることはできなかった。悔しさは込み上げてきたが、それでも杉岡は実感していた。

「迷いなく、自信を持って、思い切りプレーすることができた。このプレーをするために、自分は町田に来たんだ」

 2023年に湘南でリーグ戦33試合に出場した杉岡は、迎えた今季、迷い、悩んでいた。

「昨季の信頼もあって、湘南では今季も開幕から先発で起用してもらっていました。そのなかで、チームは新たに3バックから4バックを試みていたのですが、なかなか試合に勝てなかった。結果が伴わなかったことで、自分自身も自信をなくして、プレーに迷いが生じるようになっていたんです。だから、試合に出られなくなっていったときも、『何で自分を試合に使わないのか』とは思わず、試合に出られないのは『自分に問題があるからだな』って思っていました」

 3バックから4バックへのシステム変更にトライしていた湘南は、戦い方にも変化を生もうとしていた。縦に速いサッカーからの脱却を図り、後ろからパスをつないで、自分たちが主導権を握って攻撃を組み立てていこうとしていた。プレーの変化は当然、最終ラインにも求められた。

「ビルドアップしていくために、僕自身も綺麗にプレーしようとする意識が強くなって、前ではなく、後ろでボールを受ける機会が多くなっていったんです。パスをつなごうとして、自分のプレー自体にも迷いがあるから、嫌なボールの失い方をする回数も増えてしまって。余計に自分の積極性やプレーの良さも出せなくなっていました」

湘南の新しいスタイルと自身のプレーに悩んだ日々 【©️J.LEAGUE】

 プレーに迷いがあれば、判断も遅れる。判断が遅れれば、必然的にプレーも消極的になっていく。

「ミスをしたり、失敗したりすると、思考もネガティブになっていって、本来、自分ができることもできなくなるみたいな。今思えば、それも一つの経験だと思いますけど、当時は自分でも決して良いとはいえないサイクルに陥っていました」

 徐々に出場機会を失い、ベンチ外すら味わうなかで、杉岡は自分自身を省みる。そして、ボールをつなぐ意識や選択肢としてパスを真っ先に思い浮かべるために、自分の強みが消えかけていたことに気づいた。

「自分をもう一度、見つめ直すと、改めて自分はこういう選手だったと思い出すことができたんです。縦の推進力こそが自分の武器だったなって」

 自分は何を武器に、ここまでプレーしてきたのか。自分は何を強みにしてサッカーをしていくのか。町田からのオファーは、本来の自分を取り戻しはじめた矢先だった。

「オファーが来る少し前くらいから、自分のプレーが整理できてきたタイミングだったんです。『自信』を取り戻していたからこそ、チャレンジしたいなって。何より、J1で残留争いをしているチームで試合にすら出られていない自分に、現時点でJ1の優勝争いをしているチームからオファーが届いた。シーズン途中で、思い入れのある湘南を出てもいいものかと悩みましたし、そこは難しい決断でした。いろいろな気持ちや感情が渦巻きましたけど、最後はシンプルに、優勝争いをするようなチームで、自分にチャレンジしたいと考えて、『行きたい』と思いました」

湘南でともにプレーした杉岡と谷(中央は町野) 【©️J.LEAGUE】

 湘南でチームメートとして過ごし、今は守護神として町田の躍進を支える谷晃生の言葉も背中を押した。杉岡も「谷の存在は大きかった」と、頷く。

「谷からは、町田は今、どんどん大きくなっているクラブだし、ここからさらに大きくなっていくクラブだとも聞いていました。あいつ自身が、そうした状況に、ポジティブな気持ちでチャレンジしていると聞いて、自分もチャレンジしてみたいと素直に思いました。今季もJ1で優勝争いをしていますけど、まだJ1に昇格して1年目でもある。ここが最高到達点ではないというか、さらにクラブとして成長していこうとする期待感があるところも魅力でした」

 谷から得た刺激はクラブの野心だけでなく、チームが目指しているサッカーについても、だった。

「谷と自分は、ポジションは違いますけど、選手としてのメンタリティーや姿勢が似ているところもあって。先ほどの話にもつながってくるのですが、谷もビルドアップなど、細かいプレーを求められすぎると、多少、セービングに影響が出てしまうところがありました。そうした不器用さが自分と似ていると感じるところでもあるのですが、町田ではGKに大切なセービングを第一に求められていることで、ビルドアップもうまくできていると話してくれました」

 まさに、杉岡が取り戻そうとする自分の姿と重なったのである。

スタッド・ランス戦では初先発 【©️FCMZ】

「町田のサッカーははっきりしているし、徹底されているので、僕自身も第一に、前や縦という選択を持ったうえでプレーすることができる。それをファーストチョイスとして持ったうえで、ビルドアップやパスを考えることができるので、自分の強みや特徴も出しやすいと考えました。まだ加入して間もないですけど、やはりパスコースを探すのではなく、縦にスペースがあるのであれば、自らボールを運んでいくのが自分の強みだと思いますし、縦を意識することで、逆にパスコースも見えてくるようになりました。そこは、町田に来て手応えを感じているところです。その自分の良さは、改めて見失ってはいけないなって」

 自分の強みであり、自分の特徴で勝負できるサッカーが、町田にはある。移籍を決断した決め手だった。

 一方で、杉岡は移籍で苦い経験もしている。当時はシーズン途中ではなく、開幕前だったが、2020年に湘南から鹿島アントラーズへの移籍を果たしている。その鹿島には1年半在籍したが、2020年はリーグ戦7試合の出場に終わり、2021年も定位置をつかめず、夏に湘南へと復帰している。鹿島では、決して成功を手にしたとはいえないだけに、再び新天地を踏む決断には、少なからず驚きがあった。

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著者プロフィール

1977年、東京都生まれ。『ワールドサッカーグラフィック』の編集長を務めた後、2008年に独立。編集プロダクション「SCエディトリアル」を立ち上げ、書籍・雑誌の編集・執筆を行っている。ぴあ刊行の『FOOTBALL PEOPLE』シリーズやTAC出版刊行の『ワールドカップ観戦ガイド完全版』などを監修。Jリーグの取材も精力的に行っており、各クラブのオフィシャルメディアをはじめ、さまざまな媒体に記事を寄稿している。

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