奇跡の“大逆転”金メダル劇はなぜ生まれたのか? 体操ニッポンを踏みとどまらせた驚異の「チーム力」

大島和人

日本は体操男子団体総合の金メダルを獲得した 【写真は共同】

 何の誇張もなく「奇跡」と書いていいだろう。日本は体操史に残る大逆転で、体操の男子団体総合の金メダルを2大会ぶりに獲得した。

 男子団体総合はゆか、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒、鉄棒の6種目で競う。日本は予選を2位で終え、予選1位の中国と同じグループで演技を行っていた。最終種目の鉄棒を迎えた時点の点差は「3.267」と大きく開いていて、中国に大過失(1点以上の減点が出るミス)が複数出ない限り、逆転はない状況だった。

 しかし日本の選手たちは諦めなかった。仲間のために声を出し、円陣を組み、背中を叩いて鼓舞するといった声と動きで「雰囲気」を作っていた。ミスをした選手が呆然とたたずみ、誰も絡みに行かない中国とは違うチームで戦う姿勢が分かりやすく見て取れた。

最終種目で大差をひっくり返す

 今大会の団体総合は1チーム5人構成で、各種目3人ずつが演技を行う方式。最終演技・鉄棒は日本の先攻でスタートした。1人目の杉野正尭は大技「ペガン」を決めて14.566の高得点を記録。対する中国は1人目の肖若騰が着地で大きなミスを犯し、得点も13.433にとどまった。ここでまず逆転の可能性が明らかに高まった。

 日本の2人目・岡慎之助は14.433を記録したが、中国の2人目・蘇煒徳が二度の落下で11.600という極端に低い得点に終わった。最終演技を前にして日本が逆転し「0.699」のリードを得る状況に変わる。

 ここで登場したのは日本のエースで、東京五輪の個人総合、鉄棒の金メダリストでもある橋本大輝。ただし彼は5月のNHK杯を前に右手中指を負傷し、調整が遅れていた。2日前の予選では得意の鉄棒で着地が乱れ、種目別への出場も逃していた。また団体総合では2種目のあん馬で落下し、ベストとはいい難い状況だった。

 水鳥寿思監督は金メダル獲得への最善手を模索した。それは演技内容の変更だ。

「(橋本)大輝の演技を状況によって、何パターンか考えていました。(蘇煒徳が)落下をするたびにコンタクトを取って『どうする?』とやり取りをしました」

 体操は技の難易度を評価する「Dスコア」と、出来栄えを評価する「Eスコア」があり、かなり緻密な採点が行われる。このレベルになれば「ミスをしなければこれくらいの得点」という計算が事前に立つ。日本は橋本が無理をしなくても、点差を維持できるリードを得ていた。

「最後はもう絶対に着地まで通せる演技で行こうというのが最後の決断で『アドラー1回ひねり』を抜く想定をしていました。最終的には、もうほぼ見たことないような(高得点を狙わない)演技で、逆車にも行かないところでまとめました」

 それでも橋本は鉄棒の名手で、14.566と悪くない得点を出した。6種目合計「259.594」のスコアで、中国と0.532差を保ち団体総合優勝を決めた。0.103差の銀メダルで終えた東京五輪の悔しさも晴らす金メダルだった。

逆転につながった前日ミーティング

萱和磨はキャプテンとしてミーティングを主導した 【写真は共同】

 水鳥監督は団体総合を前にした想定をこう説明する。

「予選をやって、中国の方がちょっと上という感覚がありました。(橋本)大輝も(谷川)航も完全な状態ではなく、苦しい展開になると分かっていました。苦しいのは当たり前で、最後まで諦めずにやることが大切だと思っていました」

 大会開始前から中国は金メダル争いのライバルとして想定されていた。中国も大会直前に負傷者が出て蘇煒徳を補欠から繰り上げていたが、とはいえ予選は日本を上回る潜在能力を見せていた。

 日本チームは不利を受け入れつつ、粘り強く自滅せず戦う意識づけを選手にしていた。前日のミーティングではこんなやり取りがあったという。

「きっかけは僕ら(コーチ陣)が作ったんですけど、『僕からも話したい』と(萱)和磨が先頭を切って話をしはじめて、みんながそれぞれ思いを話しました。(中国にリードされると)『ヤバい、苦しい』となるので苦しくても行ける流れをどうやって作れるかというミーティングができました」

 体操の団体は、フォーメーションやパスのような連携があるわけではない。とはいえコミュニケーションを取って正しい決定を下す、士気を高めるといったチームプレーは間違いなくある。

 大きかったのはキャプテン萱和磨の働きだ。「失敗しない男」の異名を持つ27歳の彼は床、あん馬、つり輪、平行棒の4種目でプレッシャーの掛かる一人目を任され、手堅く得点を残した。同時に年長者として、周りを引っ張った。

 水鳥監督はその功績をこう強調する。

「彼は僕らの精神的支柱で、チームが流れに乗っていくために必要な選手です。今回は演技のオーダーもありましたけど、彼の発揮したリーダーシップが大きかったと思っています。昨日も最後のミーティングで『もう絶対に僕は二番は嫌だ』と、チームを本当に鼓舞していました」

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、ハンドボールと幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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