元世界王者の比嘉大吾と宮古島で切磋琢磨した2人 川満俊輝、狩俣綾汰の“あららがま魂”

船橋真二郎

勝利のバトンをつなぐ

昨年12月24日、狩俣(右端)は沖縄本島で2年ぶりの勝利。東京から川満、宮古島から知念監督も駆けつけた 【写真提供:狩俣綾汰】

 狩俣には試練が続く。2022年12月、安藤教祐(KG大和)との再起戦は5回終了失格負け。歓声でゴングが聞こえにくく、狩俣の感覚としては同時ぐらいだったが、実際は終了ゴング後のパンチで倒してしまっていた。安藤のダメージは深く、試合続行不可能になった。

 この時期の狩俣は実は絶不調だったという。調子が上がらず、スパーリングでも打ち込まれ、「もう辞めたほうがいいとか、気持ちもマイナスな方向ばかりに行って」。ボクシングに対しても考え過ぎて、本来の思い切りのよさを見失っていた。加藤トレーナーはのびのびやるように狩俣を仕向け、あえて練習を見ない時期もあったと振り返る。

 狩俣は抱え込んでいた悩み、負の感情……自分の弱さを川満にさらけ出した。「俊輝に話すことで気づかされることもあって」。川満もまた「そうやって綾汰が伝えてくれるようになって、僕も不安に思ってることや悩んでることを相談できるようになって。僕があまりしゃべるタイプじゃないから。いつも助けられてます」。

「仲は良いんですけど、馴れ合うことはなくて、お互いを尊敬していることが伝わってくるし、いい関係です」(加藤トレーナー)

 2023年12月。試合が1週違いで決まった。川満は17日、神戸で日本タイトルマッチ。狩俣は24日、沖縄・豊見城で2度目の再起戦。試合に向けて、「一緒に仕上げていく感覚が久しぶりで、それがよかった」と狩俣は笑う。

「きついときでも、俊輝と2人で『やるしかないよね』って。それがキーワードになって」

 2人が負けてから連絡があるたび、知念監督は伝えた。

「宮古の人はこれからだよ。分かるだろ。ここからがあららがま魂の見せどころだよって」

 初回、38歳のベテラン王者、大内淳雅(姫路木下)の鋭い右に脅かされながら、川満は2回に鮮やかな右フックで倒し、一気の連打でTKO勝ち。雄叫びをあげ、涙をあふれさせた。

「行かないと後悔する」と急きょ会場入りした狩俣。川満のタイトル奪取を見届けると、すぐに気持ちを切り替え、東京にとんぼ返り。試合に備えた。

 翌週、狩俣は沖縄で2回TKO勝ち。川満のサポートも受け、神戸に続いて宮古島から教え子の試合に駆けつけた知念監督が見守る前で実に2年ぶりの勝利を飾った。

 だが、余韻に浸ることなく、「ここからが勝負」と前を向く。6月17日、7勝7KO(2敗)の強打者、苗村修悟(SRS)との試合が決まっている。川満もまたチャンピオンになって、「自分はまだまだ」と実感する毎日だという。

「大吾が世界チャンピオンになったのが21歳ですよね? あの若さで、自分とはさらに重みの違うプレッシャーの中で戦っていたのかと思ったら、ほんとにすごいことをやったんだなって」

 狩俣の試合から、さらに1週間後の大みそか。比嘉がタイの世界ランカーを強烈な左ボディで沈め、豪快なKO勝ちを見せる。体重超過でベルトを失い、階級をバンタム級に上げて復帰してから、苦しみながらも這い上がってきた。川満は比嘉にLINEでメッセージを送った。

《いつも大吾に刺激をもらってるよ》

《俺も2人から刺激をもらってるよ》

 返ってきたメッセージに「また、頑張ろう」と思えた。

 この5月4日、川満は1位に上がってきた安藤教祐との初防衛戦に臨む。3年4ヵ月前、初回KOで勝ったことのある相手だが、「前と同じにはならないので。勝つことだけに集中します」と気を引き締める。それから、こう言葉を継ぐと照れくさそうに笑った。

「しっかり勝つところを見せて、綾汰につなぎます」

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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