30歳でのメジャー挑戦とギーエン監督との出会い 井口が手に入れた2つのチャンピオンズリング
プロ野球では日本一、メジャーリーグでは世界一を経験し、ロッテ監督時代は佐々木朗希らを育てた。
輝かしい経歴の裏には、確固たる信念、明確なビジョンがあった。ユニフォームを脱いで初の著書で赤裸々に綴る。
井口資仁著『井口ビジョン』から、一部抜粋して公開します。
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さらなる成長と刺激を求めてメジャーの舞台へ
【写真は共同】
1995年に野茂英雄さんがロサンゼルス・ドジャースに入団して以来、毎年のように日本人投手が海を渡りました。2001年には初の日本人野手としてイチローさん(シアトル・マリナーズ)と新庄剛志さん(ニューヨーク・メッツ)がメジャーデビュー。2002年には田口壮さん(セントルイス・カージナルス)、2003年には松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)、2004年には松井稼頭央(メッツ)がメジャーへ移籍。日本でともにプレーした野手たちやアトランタオリンピックで対戦した海外選手の活躍をテレビ中継で見る機会が増え、遠い世界だったメジャーを身近に感じるようになっていました。
僕もまた、「トリプルスリー」こそ未達成でしたが、二度の盗塁王、打率3割超え、二度の日本一を経験したことが自信となり、新たな舞台に挑戦したい衝動に突き動かされたのです。そんな僕を熱心に誘ってくれたのがシカゴ・ホワイトソックスでした。
ご存じの通り、ホワイトソックスでは移籍1年目にワールドシリーズで優勝するという最高の経験をしました。アストロズを4連勝で下してつかんだ頂点です。歓喜のシャンパンファイト、そして88年ぶりの世界一にシカゴ中が沸いた優勝パレードは今でも鮮明に覚えています。
最高の形で終えたシーズンではありましたが、僕にとっては我慢の年でもありました。ヒットを打ちたい、盗塁したいという自分の欲をグッと堪え、慣れない2番打者としてチームを勝利へ導く打撃に徹したのです。
心を軽くしたギーエン監督の言葉
もちろん、選手に求められているのは、大前提である優勝に向けてチームの勝利にどれだけ貢献できるか。自分の役割を果たそうとチームのために進塁打を重ねても、結果的には凡打として記録に残り、打率はどんどん下がるだけ。日本球界では数字には残らない貢献も評価してくれますが、成績がすべてのメジャーでは評価が下がる一方なのではないか。僕の心の中には不安とも葛藤とも言えない思いがくすぶっていました。
シーズン半ばのある日、シカゴの地元紙でギーエン監督のコメントが紹介されていました。
「チームのために自分を犠牲にして何でもやってくれる。私にとって今年のMVPはイグチだ。彼がチームを変えてくれた」
縁の下の力持ちに徹した努力が報われた思いがしました。素直に「良かった、見ていてくれたんだ」、と思ったのです。考えてみれば、打線のつなぎ役を任される打者がどんな気持ちで送りバントや進塁打を決めていたのか、僕に欠けていた視点を知る貴重な経験にもなりました。
ギーエン監督はその後も、そして今でも「私にとって2005年のMVPはイグチだ。スーパースターはいらない。大切なのはチームを思ってプレーできる好選手だ」と言い続けてくれています。ただチームの頂点に立っているだけではなく、選手をしっかり観察し、細かいところまで目の行き届く監督だからこそできる心遣いなのでしょう。