「心はひとつ」涙と笑顔があふれた藤井直伸さんの追悼試合 それぞれの心に生き続ける思いと新たな誓い

田中夕子

優しくて強い人だった

精神的支柱として、多くの選手に大きな影響を与えた 【写真提供:東レアローズ】

 取材を通して見る藤井選手の姿も同じだった。

 負けても勝っても、どんな時でも明るく、笑顔で接してくれる。どんなテーマでも「もう聞くことないでしょ」と笑いながら、こんなことも思い出した、とか、実はあんなことも考えていた、と楽しそうに話して、苦しい経験も「いろんな人に助けられたから、今の自分がある」と言いきる、優しくて強い人だった。

 病気がわかってからも、心配させないようにと明るく話し、むしろ周りにばかり目を向けていた。当時、監督と主将という関係で普段から会話も多かったという篠田監督は「自分のほうが大変なのに、『篠田さん、痩せたけど大丈夫ですか?』と気遣ってくれたと言い、パダルも藤井選手の病気を公表した21/22シーズンを終え、再び22年の夏に来日して東レに合流した際、藤井選手にかけられた言葉を今も忘れられないと明かす。

「彼は笑顔で迎えてくれて『今なら英語で、通訳がなくてもコミュニケーションがとれるようになったよ』と話しかけてくれた。その言葉が、何よりすごく、私にとっては嬉しいものでした」

それぞれの想いと誓いを胸に

「もう一回、一緒にバレーがしたかった」と高橋は涙を流した 【写真:田中夕子】

 あれから一年が過ぎた。

 それでも今なお変わらぬ笑顔のまま、それぞれの心に残る姿や言葉があり、そのすべてが前を向く力につながっている。パダルのスピーチを聞きながら、コートで涙を流した高橋は「彼が戻ってくると信じていたし、もう一回、一緒にバレーがしたかった。クリスのストレートな言葉を聞いて、もっとこうしたかった、会いたいな、という思いが込み上げた」と明かし、だからこそ、と誓う。

「彼と目指したファイナルラウンドに進出して優勝する。そのためにファイナル6へ何としても進みたいし、藤井さんが愛したバレーボールを僕らは今身体を使って表現できる喜びを噛みしめながら、見に来てくれる人たち、子どもたちに対して広めていくことが責任だと思っています」

 21のユニフォームや「心はひとつ」のタオルが至るところで掲げられた香陵アリーナで、17日の最終戦も1セットを先取されるも3対1で勝利し、23日から始まるファイナル6進出を決めた。勝利後のインタビューで篠田監督が言った。

「(ファイナルラウンドで)あと3勝すれば合計で21勝、藤井の背番号になるので、3つ勝って藤井のユニフォームを掲げられるように、全員で戦います!」

 共に戦って来た選手や家族はもちろん、悩んだり苦しんだりしながらもバレーボールを存分に楽しんでいた藤井選手を知るそれぞれの心に、変わらず生き続けている。

 佳境を迎えるVリーグを、きっと同じように楽しんでいる。誰より楽しそうに、あの笑顔で。今にも、甲高い声が聞こえてきそうだ。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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