【ウインターカップ特別企画】河村勇輝の高校時代…指揮官&ライバルの証言から“新スター誕生”を紐解く

優勝メダルを手に笑顔を見せる河村勇輝 【(C)須田康暉】

 2022−23シーズンのBリーグでMVPを含む個人6冠。日本の司令塔として臨んだ「FIBAバスケットボールワールドカップ2023」では「2024年パリオリンピック」の出場権獲得に貢献し、海外にもその名を知らしめた河村勇輝(横浜ビー・コルセアーズ)は、今や日本バスケットボール界の顔と呼べる存在だ。

 そんな彼が多くのバスケットボールファンに知られるようになったのは、高校時代のウインターカップまで遡る。2017年大会で1年生ながら福岡第一高校(福岡県)の先発ポイントガードに抜擢され、翌年から大会連覇を達成。当時から突出したスキルとスター性を持ち合わせていた河村は、かつての指導者やライバルにどのように映っていたのだろうか。当時の河村を知る福岡第一の井手口孝コーチと、何度もマッチアップを繰り広げた中部大学第一高校(愛知県)OBの中村拓人(広島ドラゴンフライズ)に話を聞いた。

ライバルとして「すごく意識していた」

 高校時代の中村と河村は、「FIBA U16 アジア選手権大会2017」と「FIBA U18 アジア選手権大会2018」で日の丸を背負って共闘した間柄でもある。しかし、当時の中村にとって1学年下の河村は、痛い目に遭わされてきたライバルという印象が強いようだ。

「自分の中では河村選手のことをすごく意識していました。ウインターカップ、国体も含めて河村選手にやられたという感覚でした。1回も勝てませんでしたから」

 中村が河村を意識し始めたのは、「高校2年次のウインターカップ」だという。中部大第一と福岡第一は準々決勝で顔を合わせ、2人は先発ポイントガードとして対峙した。試合はわずか3点差で福岡第一に軍配。翌年、中村は背番号4を背負う絶対的司令塔として中部大第一をウインターカップ決勝まで導いた。優勝をかけた相手は、1年前に敗北を喫した福岡第一。中村はチーム最多の15得点をマークしたが、再びマッチアップを繰り広げた河村に16得点7アシストの活躍を許し、42−85の大差で高校最後の試合を終えた。

河村とマッチアップする中村 【(C)大澤智子】

「最後のウインターカップで対戦するとしたら決勝だったので、まずはその場所まで絶対に行かなければいけないという責任感がありました。でも、決勝のゲーム内容は最悪で、河村選手も含め福岡第一さんにいいパフォーマンスを見せられてしまいました。自分たちとしては力を出しきれず、悔いが残るウインターカップでしたね」

 同じポジションかつ世代トップの選手である中村から見ても、河村のスピードとパスセンスは当時からずば抜けていたという。

「まずは『とにかく速い』というイメージが強かったです。ディフェンスからの切り替えの速さが彼の一番の持ち味だと思っていました。加えて周りの選手も走力がありました。パスに関しては何度も試合をしていたので、どこに出すかある程度わかっていたつもりでした。でも、河村選手はそれ以上のパフォーマンスを見せてくるすごいプレーヤーでした」

1/2ページ

著者プロフィール

日本バスケを盛り上げよう! 2016年に生まれたプロバスケットボールリーグ、「Bリーグ」と時を同じくして立ち上がった、日本バスケの魅力を伝えるバスケットボール専門サイト。男女日本代表、NBA、高校バスケもアツくフォローしています。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント