初のNHK杯で挑んだ大技は、ノービス時代からの代名詞 「どん底」を味わった青木祐奈が得た、怖れない強さ

沢田聡子

フリーでは自らのスケート人生を表現 【写真:松尾/アフロスポーツ】

ようやく立った大舞台「観てくれてありがとう」

 自らのスケート人生を表現するフリー『She』を滑り終え、スタンディングオベーションを浴びる青木祐奈の中にあったのは、「本当に観てくれてありがとう」という思いだった。

「私がこれだけ気持ちよく滑れているのもたくさんの方のおかげですし、それを観て下さっている嬉しさと感動が、気持ち的には一番大きかったです」

 自身初のグランプリシリーズとなるNHK杯(11月24~26日 大阪府門真市・東和薬品ラクタブドーム)に出場した青木は、ショートプログラム8位からフリーで追い上げ、総合5位という結果を残した。

 羽生結弦さんを指導した都築章一郎コーチに6歳の頃から師事した青木は、全日本ノービス選手権カテゴリーAで優勝するなど早くから頭角を現した。その躍進を支えたのは、世界でも跳ぶ選手が限られる高難度のコンビネーションジャンプ、3回転ルッツ+3回転ループだ。

「(3回転ルッツ+3回転ループを跳び始めた)時期は中学1年生ぐらいだったのですが、ノービスAの2年目で試合に入れ始めて。きっかけとしては単純にルッツが得意・ループが得意で、レッスンの時、章一郎先生に『ルッツやったら、ループつけてみろ』みたいな感じで(言われて)。難しいジャンプという意識はなく『つけたらできた』という感じだった」

「結構、最初は簡単に跳べて。今も100%安定していないので『やっぱり難しいジャンプだな』とは思うのですが、でも跳び始めた時は結構簡単に、そんなに難しくなく跳べました」

 天才少女として名を馳せた青木だが、ジュニア時代は怪我もあり本来の力を発揮できなかった。2020年にシニアに上がってからも、思うような成績を残せない日々が続く。なかでも本人が「どん底」と振り返るのは、最終滑走者として臨んだショートでミスが続き、フリーに進めず最下位に終わった2021年の全日本選手権だ。

 しかしこの全日本選手権をきっかけに環境を変える決断を下し、中庭健介コーチに師事した青木は、着実に成績を残し始める。そして移籍してから2シーズン目となる今季、ついにつかんだチャンスがこのNHK杯出場だった。

 フリー後のミックスゾーンで、大舞台で力を発揮できた理由を問われた青木は、2021年全日本選手権で味わった苦しさを挙げている。

「どん底までいったことで、もう本当に『怖いものがない』と言ったら変なのですが…。全日本の最終滑走でビリになった時は一番どん底というか、『それ以上ひどいことはないかな』と思って、結構思い切ってできている部分はあるので。そういう経験が、自分の今につながっているかなと思います」

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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