プロでの明暗分かれた堂上と坂本 直倫が「守備の人」になった理由とは
「ポスト谷繁」で迷った田中と嶋
キャンプ初日の福田のバッティング練習を見た落合さんは、すぐにファーストへのコンバートを決めた。同じコンバートなら外野でもサードでも良かったと思うのだが、2005年の章でも書いたように、落合さんにはファーストの守備が大事だという考えがあった。
「監督、ファーストやらすんですか? キャッチャーで獲ってきたのでキャッチャーをやらせてくださいよ」
「ファーストは重要なポジションだ。福田にはファーストをやらせて、こっち(打つほう)を期待するわ」
こうして福田は入団早々にファーストにコンバートされた。
高校生と大学・社会人とドラフトが分離されてしまうと、なかなか戦略が立てづらい。かつてのように1位クラスを2人も獲るようなことはできなくなっていた。
そんななかで、大学・社会人3巡目で日本福祉大のピッチャー、浅尾拓也を指名できたのは大きかった。担当の中原勇一スカウトが「日本福祉大に強烈なピッチャーがいる」と浅尾が3年の秋に見に行き、早くからマークしていた。
野球強豪大学でもない地方の二部リーグ。本人も初めはプロでやる自信がなく、「プロに入れればどこでもいいです」「プロの世界で勝負したいです」というタイプの選手ではなかった。だから、自分のことを一番見てくれて、一番知っている、地元の球団で野球がやりたいという思いが強かった。他球団も当然狙っていたが「中日以外なら東邦ガスへ行く」と、半ば逆指名する形で中日を選んでくれた。
希望枠では「キャッチャーを獲ってくれ」と現場から要望が出ていた。谷繁が35歳。後釜の必要性を考えてのことだったと思う。
候補に挙がったのは東洋大の田中大輔と國學院大の嶋基宏(楽天3位)。実力はどちらも一長一短あり、迷いに迷った。最終的には落合さんから「迷っているなら田中でいいんじゃないの?」という言葉もあったし、高校時代から強豪校(如水館高)のキャッチャーとして鍛えられている田中を選んだ。嶋は中京大中京高時代は内野をしており、キャッチャーに転向したのは大学に入ってからと経験がまだ浅かった。
結果論で言えば、嶋を選ばなかったことを責められてしまうが、嶋も楽天に野村克也さんがいたからこそ大きく成長することができたのだと思う。中日では谷繁が45歳までホームベースを守り続けたのだから、中日に来ていたらまた大きく違っていたかもしれない。谷繁の壁というのはそれぐらい大きかった。
5巡目の新日本石油ENEOS・岩崎達郎は前年にも指名を検討していた選手だった。守備は間違いなく一軍で使えるという計算が立つ選手だった。この年、井端が31歳、荒木が29歳。期待したドライチコンビ、森岡と中川が思うように成長していないという事情もあって、内野で計算できる選手が欲しかったのだ。
【写真提供:カンゼン】