08年、1位指名を巡って落合監督と意見が対立 スカウト会議前日に記者が残した謎の言葉
新聞記者が知っていた、野本の1位指名
そんな不信感とも疑念とも言えない、もやもやした気持ちが拭えなかった。それはスカウト会議前日に中日スポーツの記者にこんなことを言われていたからだ。
「日通の野本でいくそうですね」
「どこが?」
「ドラゴンズが」
この人は何を言っているんだろうと思った。前述の通り、スカウト部に野本を1位でいく考えはなかった。担当スカウトの仁村も1位で指名するような動きは一切していなかったのでそんな噂が立つはずがない。
「いや、うちは東海大相模の大田だよ」
「そうですよね。でも明日のスカウト会議で監督の口から『野本』って出ると思いますよ」
「そんなことあるかい」
このときは一笑に付したのだが、翌日それが現実になった。中日新聞の系列紙が中日の1位指名予想を外すわけにはいかない。落合さんは記者にペラペラ話す人ではないので、おそらくあらゆる方面から情報を収集して、中日は野本1位でいきそうだと考えたのだと思う。だが、繰り返しになるがスカウトは誰もそんな動きはみせていなかった。あのときの記者はなぜ「日通の野本でいくそうですね」と言ってきたのだろうか? かまをかけただけだったのか? 今となってはわからない。
野本は落合さんが監督を務めた2011年までの3年間、それなりにチャンスはあったがもうひとつレギュラーになりきれず、思うような結果を残すことはできなかった。10年間の現役生活を経て今は中日のスカウトとして奮闘してくれている。
野本の名誉のために書いておきたいが、楽天と1位で競合したことからもわかるように実力はドラフト1位で間違いはなかった。だが、このときの中日は「世代交代」という大きな課題があった。だから即戦力として翌シーズンからある程度使える目処の立つ野本よりも、時間はかかっても次世代の柱になりうるスケールの大きな高校生野手が欲しかったのだ。
私はこのあとずっと考えた。スカウト部長として落合さんにどう話せばよかったのだろうか? どう言えば、どう振る舞うことが正解だったのだろうか? この先、同じようなことが起こったときはどうすればいいのだろうか? 考えても答えは見つからなかった。
これから入団してくる野本に対しても「自分は望まれていないのではないか」と余計な心配をさせたかもしれない。そのことに申し訳ないという気持ちもあった。
こういったことがストレスとなって蓄積されていったせいか、この頃の私は心身に不調をきたし、病院で『パニック障害』と診断された。長いスカウト人生の中で最も精神的に辛い時期だった。
【写真提供:カンゼン】