西浦颯大『もう一回野球させてください神様』

先輩からの言葉、オリ強さの理由、親友“ムネ”との仲…西浦颯大、22歳で現役引退をした後の日々

西浦颯大

オリックスが強くなった理由

 その年の日本シリーズはヤクルトを相手に2勝4敗で、日本一には届きませんでしたが、翌年の2022年、オリックスはパ・リーグ2連覇を果たし、ヤクルトとの再戦となった日本シリーズを4勝2敗1分で制し、26年ぶりの日本一を達成しました。

 僕が引退してから、オリックスはめちゃくちゃ強くなっていますよね。
 まずピッチャーがいいですよね。2022年の中継ぎ陣なんてエグかった。
 打線では、ラオウさんの覚醒は大きかったですね。

 でもやっぱり一番大きかったのは、中嶋監督の存在じゃないでしょうか。

 それまでは、監督もコーチも、どの選手に対しても同じような教え方をしていた印象があります。選手には1人1人個性があるのに、みんな一律で「バッティングはこうすべき」みたいな感じで。でも言う通りにしないと一軍で使ってもらえないので、僕は言うことを聞いていました。心の底では「違うな」と思いながら。

 でも中嶋さんは、まず1人1人としゃべって、きちんとそれぞれの個性を引き出す教え方をしてくれる、というのが僕の見解です。本当に選手との距離が近いし、コミュニケーションを取るのが上手な監督だと思います。

 ただ、僕は中嶋さんが一軍の監督になってから、あまり試合に使ってもらえなくなって、それで腐った時期もありました。

 いつだったか、試合の終盤に守備固めで出場して、その後、同点に追いつかれたので、僕に打席が回ってきました。そこでホームランを打って勝ったんですよ。

 でも、次の日の試合に出してもらえなかった。
「なんでなん? 打ったやん!」
 不満を抱えてモチベーションが下がってしまい、二軍に落とされました。

 2022年シーズンも、レギュラーシーズン143試合で、141通りの打順が組まれましたが、中嶋さんの起用法は、中嶋さんにしかわからない根拠があってのものだと思います。

 その中で、マルチ安打の大活躍だった選手が、次の日に先発を外れる、ということは結構よくありました。その部分に関しては、選手の気持ちとしてはなかなか難しいところだと思いますが、それに動じることなく、自分に出番が回ってきた時に、確実に役割を果たせる選手が残っていくんでしょうね。

親友のブレイクと変わらない仲

 2021年も22年も、日本シリーズは、オリックス対ヤクルトの対戦でした。
 オリックスを応援しながらも、ムネ(村上宗隆・ヤクルト)のことはどうしても気になりました。

 第1章でも触れましたが、ムネとは同じ熊本県出身の同学年で、中学時代に仲よくなりました。高校時代は、僕は熊本を出て高知県の明徳義塾高校に行き、ムネは熊本県の九州学院高校だったので、会う機会はなくなりました。僕の高校は携帯電話が禁止だったので、あまり連絡も取れていませんでした。
 ちょくちょく活躍は耳にしていましたけどね。高校1年の時に、熊本の藤崎台県営野球場で、ムネが高校の初打席で満塁ホームランを打ったという噂を聞いて、「すげーなー」と思ったのは覚えています。
 高校3年のドラフトで、あいつはヤクルトに1位指名されて、「マジか!」と驚きましたけど、あの時はもう自分のことでいっぱいいっぱいで、人のことを気にしている余裕はなかったですね。

 高卒で同じ年にプロに入り、2年目だった2019年3月のオープン戦で、ヤクルトと京セラドームで対戦した時、久しぶりにムネに会いました。

 その時、センターの守備位置から見た打席のムネは、なんか、めちゃくちゃ打ちそうなオーラが出ていましたね。なぜかはわからないですけど、雰囲気がすごくよくなっていると感じました。
 でもそのオープン戦の3連戦の2日目、3月6日の試合で、ムネが右中間に放ったヒット性の当たりを、センターに入っていた僕がファインプレーでキャッチしたんです。
「やってやった!」と心の中でドヤ顔していたんですが、その年の交流戦でやり返されました。
 明治神宮球場で行われた6月8日の試合です。僕は守備固めで途中から出ていたんですが、9回裏、ムネが打った、センターの横にポンッと落ちる打球で、2塁まで行かれてしまいました。「ウソやん」って(苦笑)。あれはやられましたね。

 その年、ムネはシーズン全143試合に出場し、36本塁打を放って一気にブレイクしました。
「ヤバ! 急にどうしたん?」という感じでしたね。正直、あそこまでになるなんて思っていなかったので。
 中学生の時までは、僕のほうがすごかったんですけどね(笑)。ムネは当時から体はデカかったですけど、〝ザ・ホームランバッター〞という感じではなかったような気がします。あの頃はたぶん僕のほうが飛ばしていましたね。

 2022年は、王貞治さんの55本を超える、日本選手最多の56本塁打を記録し、史上最年少での三冠王を獲得。いやもう、すごすぎますね。
 2022年はガタイが一回りデカくなったように見えましたし、それまでよりも考えるようになったんじゃないかと思います。三振が減りましたしね。
 プロの世界は、相手投手のカウントごとの球種やコースの割合などが全部データ化されて、提示されます。そういうものをより深く理解して、頭に入れるようになったんじゃないでしょうか。あいつ、野球脳がすごくいいんです。
 でも2022年の日本シリーズでは、オリックスのバッテリーに結構抑えられていましたね。

 たぶん、ムネの調子があまりよくなかったのと、バッテリーのインコースの使い方がよかった気がしますね。あいつはインコースがあまり得意ではないので。
 まあ、オリックスのピッチャー陣がとにかくよかったですよね。特にシーズン終盤からのリリーフ陣はすごかった。その中でも、山﨑颯一郎さんが一番よかったんじゃないでしょうか。最速160キロを記録したように、とにかくストレートがめちゃくちゃ速いですから。

 日本シリーズを終えた2022年末、ムネがイベントで大阪に来ていたので、一緒に飲みました。食事をしたことはありましたけど、飲んだのは初めてでした。
 プロ2年目の秋に、宮崎県で行われていたフェニックス・リーグの時にも、「飯、行こか」と誘って行ったことがありました。その時、僕はもう20歳になっていたので、一緒に飲もうとしたんですけど、「いや、オレまだ19だから」と言われて。「あ、お前、早生まれかー」と。あいつは2月生まれなんです。
 だから、一緒に酒を飲んだのはその時が初めて。あいつが活躍したら、「ナイスホームラン!」とLINEを送ったり、連絡はちょくちょく取っていましたけど、会うのは1年以上ぶりでした。

 中学時代の昔話で盛り上がりましたね。

「中学校の頃はオレの方がすごかったよな」
「確かになー」
「どこでこうなったんやろうな(苦笑)」

 そんな会話をしました。懐かしかったし、楽しい時間でしたね。

書籍紹介

【写真提供:KADOKAWA】

小学6年生でソフトバンクジュニアに選出されるなどセンス抜群の野球少年だった西浦颯大。
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。

そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……

引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは? 
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?

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