先輩からの言葉、オリ強さの理由、親友“ムネ”との仲…西浦颯大、22歳で現役引退をした後の日々
オリックスが強くなった理由
僕が引退してから、オリックスはめちゃくちゃ強くなっていますよね。
まずピッチャーがいいですよね。2022年の中継ぎ陣なんてエグかった。
打線では、ラオウさんの覚醒は大きかったですね。
でもやっぱり一番大きかったのは、中嶋監督の存在じゃないでしょうか。
それまでは、監督もコーチも、どの選手に対しても同じような教え方をしていた印象があります。選手には1人1人個性があるのに、みんな一律で「バッティングはこうすべき」みたいな感じで。でも言う通りにしないと一軍で使ってもらえないので、僕は言うことを聞いていました。心の底では「違うな」と思いながら。
でも中嶋さんは、まず1人1人としゃべって、きちんとそれぞれの個性を引き出す教え方をしてくれる、というのが僕の見解です。本当に選手との距離が近いし、コミュニケーションを取るのが上手な監督だと思います。
ただ、僕は中嶋さんが一軍の監督になってから、あまり試合に使ってもらえなくなって、それで腐った時期もありました。
いつだったか、試合の終盤に守備固めで出場して、その後、同点に追いつかれたので、僕に打席が回ってきました。そこでホームランを打って勝ったんですよ。
でも、次の日の試合に出してもらえなかった。
「なんでなん? 打ったやん!」
不満を抱えてモチベーションが下がってしまい、二軍に落とされました。
2022年シーズンも、レギュラーシーズン143試合で、141通りの打順が組まれましたが、中嶋さんの起用法は、中嶋さんにしかわからない根拠があってのものだと思います。
その中で、マルチ安打の大活躍だった選手が、次の日に先発を外れる、ということは結構よくありました。その部分に関しては、選手の気持ちとしてはなかなか難しいところだと思いますが、それに動じることなく、自分に出番が回ってきた時に、確実に役割を果たせる選手が残っていくんでしょうね。
親友のブレイクと変わらない仲
オリックスを応援しながらも、ムネ(村上宗隆・ヤクルト)のことはどうしても気になりました。
第1章でも触れましたが、ムネとは同じ熊本県出身の同学年で、中学時代に仲よくなりました。高校時代は、僕は熊本を出て高知県の明徳義塾高校に行き、ムネは熊本県の九州学院高校だったので、会う機会はなくなりました。僕の高校は携帯電話が禁止だったので、あまり連絡も取れていませんでした。
ちょくちょく活躍は耳にしていましたけどね。高校1年の時に、熊本の藤崎台県営野球場で、ムネが高校の初打席で満塁ホームランを打ったという噂を聞いて、「すげーなー」と思ったのは覚えています。
高校3年のドラフトで、あいつはヤクルトに1位指名されて、「マジか!」と驚きましたけど、あの時はもう自分のことでいっぱいいっぱいで、人のことを気にしている余裕はなかったですね。
高卒で同じ年にプロに入り、2年目だった2019年3月のオープン戦で、ヤクルトと京セラドームで対戦した時、久しぶりにムネに会いました。
その時、センターの守備位置から見た打席のムネは、なんか、めちゃくちゃ打ちそうなオーラが出ていましたね。なぜかはわからないですけど、雰囲気がすごくよくなっていると感じました。
でもそのオープン戦の3連戦の2日目、3月6日の試合で、ムネが右中間に放ったヒット性の当たりを、センターに入っていた僕がファインプレーでキャッチしたんです。
「やってやった!」と心の中でドヤ顔していたんですが、その年の交流戦でやり返されました。
明治神宮球場で行われた6月8日の試合です。僕は守備固めで途中から出ていたんですが、9回裏、ムネが打った、センターの横にポンッと落ちる打球で、2塁まで行かれてしまいました。「ウソやん」って(苦笑)。あれはやられましたね。
その年、ムネはシーズン全143試合に出場し、36本塁打を放って一気にブレイクしました。
「ヤバ! 急にどうしたん?」という感じでしたね。正直、あそこまでになるなんて思っていなかったので。
中学生の時までは、僕のほうがすごかったんですけどね(笑)。ムネは当時から体はデカかったですけど、〝ザ・ホームランバッター〞という感じではなかったような気がします。あの頃はたぶん僕のほうが飛ばしていましたね。
2022年は、王貞治さんの55本を超える、日本選手最多の56本塁打を記録し、史上最年少での三冠王を獲得。いやもう、すごすぎますね。
2022年はガタイが一回りデカくなったように見えましたし、それまでよりも考えるようになったんじゃないかと思います。三振が減りましたしね。
プロの世界は、相手投手のカウントごとの球種やコースの割合などが全部データ化されて、提示されます。そういうものをより深く理解して、頭に入れるようになったんじゃないでしょうか。あいつ、野球脳がすごくいいんです。
でも2022年の日本シリーズでは、オリックスのバッテリーに結構抑えられていましたね。
たぶん、ムネの調子があまりよくなかったのと、バッテリーのインコースの使い方がよかった気がしますね。あいつはインコースがあまり得意ではないので。
まあ、オリックスのピッチャー陣がとにかくよかったですよね。特にシーズン終盤からのリリーフ陣はすごかった。その中でも、山﨑颯一郎さんが一番よかったんじゃないでしょうか。最速160キロを記録したように、とにかくストレートがめちゃくちゃ速いですから。
日本シリーズを終えた2022年末、ムネがイベントで大阪に来ていたので、一緒に飲みました。食事をしたことはありましたけど、飲んだのは初めてでした。
プロ2年目の秋に、宮崎県で行われていたフェニックス・リーグの時にも、「飯、行こか」と誘って行ったことがありました。その時、僕はもう20歳になっていたので、一緒に飲もうとしたんですけど、「いや、オレまだ19だから」と言われて。「あ、お前、早生まれかー」と。あいつは2月生まれなんです。
だから、一緒に酒を飲んだのはその時が初めて。あいつが活躍したら、「ナイスホームラン!」とLINEを送ったり、連絡はちょくちょく取っていましたけど、会うのは1年以上ぶりでした。
中学時代の昔話で盛り上がりましたね。
「中学校の頃はオレの方がすごかったよな」
「確かになー」
「どこでこうなったんやろうな(苦笑)」
そんな会話をしました。懐かしかったし、楽しい時間でしたね。
書籍紹介
【写真提供:KADOKAWA】
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。
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