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クロップ監督の「ヘビーメタル」に呼応する鬼っ子の激情 アンフィールドが世界一の連帯と喧騒を生み出す理由

森昌利

「頑固さ」が常軌を逸した声援を生み出す源

1989年4月15日、リバプール対ノッティンガム・FのFAカップ準決勝で、イングランドのフットボール史上最悪と言える悲劇が起きた。会場のヒルズブラ・スタジアムの立ち見席にキャパを超えるファンが押し寄せた結果、100人近い死者が出る大惨事に…… 【写真:Shutterstock/アフロ】

 しかしなぜなのか。それはこの“イングランド”を「イングランドの保守的な支配階級」と置き換えることでより明確になる。

 エリザベス2世が崩御して以来、英国民が“ゴッド・セーブ・ザ・キング”とクイーンからキングに切り替えて歌う国歌にスカウスたちが猛反発するのは、1989年に起きた「ヒルズブラの悲劇」からだ。

 当時の政府は英国の富裕層を代表する保守党だった。首相は日本でも「鉄の女」の愛称で知られるマーガレット・サッチャー女史。英国史上初の女性宰相として世界的に敬意を集めたリーダーだが、実は英国の労働者階級からは子供たちの牛乳無料配布を打ち切ったことで“サッチャー、ミルク・スナッチャー”(ミルクひったくり屋のサッチャー)と呼ばれ、忌み嫌われていた。

 ちなみに彼女が死亡した際、英国では映画『オズの魔法使い』の挿入歌である『Ding Ding! The witch is dead』(鐘を鳴らせ! 魔女が死んだ)のダウンロード数が1位となり、チャートのトップに立った。

 日本人の筆者としては、アメリカのロナルド・レーガン大統領とソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長の仲立ちとなり、東西冷戦終結に貢献したとされたサッチャー首相が、自国ではその死が喜ばれるほど嫌われていたのかと、あらためて驚いたものだ。

 しかし鉄の女の政権が、リバプール・サポーターが被害者となった「ヒルズブラの悲劇」をさらに悲惨なものにしたと言える。

 伝統的にリバプールは保守党の最大のライバルである労働党の拠点である。しかも首都圏のロンドンからすれば騒々しくてアナーキーなスカウスがその住人。だからして、事故当日に94人の命を奪い、最終的に97名の死亡者を数えた大惨事勃発当初、悲劇の責任は「リバプール・サポーターにある」という報道がまかり通ってしまった。

 その一連のリバプール・サポーター批判記事で最も有名なのは、保守党支持の大衆紙『ザ・サン』が一面で「これぞ真実」と見出しを打って報じたものだった。「大勢のサポーターが泥酔していた」「チケットを持たないサポーターが大挙として立ち見席になだれ込んだ」という批判に加え、「死者の懐から財布を盗んでいたサポーターがいた」という匿名警察官の談話を大々的に伝えた。

 これほど被害者家族を悲しませ、リバプール・サポーターを貶めた記事はなかった。これはのちに、警察の明らかな不手際で起こった大惨事という事実から目を逸らすための偽証であることが分かるが、こうした根も葉もない責任転嫁報道が容認されたのも、当局を守ろうとした思惑に含めて、非難の矛先がスカウスに向くのは悪くはないという意識が多少なりとも当時の英国の政権、つまり、イングランドの支配階級にあったのかもしれない。少なくともリバプールの人間はそう信じ込んでいる。

 こうして労働者階級の鬼っ子スカウスvs.イングランド支配者階級の構図が浮き彫りとなり、その対立は熾烈だった。ちなみにサン紙は、この「これぞ真実」の報道直後、リバプールで20万部あった発行部数を一気に8000部まで減らし、今でも英国一の大衆紙が当地で全く売れていない原因となっている。

 筆者には電車の中でサン紙を読んでいて、「こんな新聞は読んじゃいけない」とリバプール・サポーターにひったくられ、車内のゴミ箱に捨てられた経験がある。しかし同紙の非道なヒルズブラ報道を知る身としては、そうされても全く文句はなかった。

 このエピソードもスカウスの頑固な気質の表れだろう。とにかく一度思い込んだら梃子(てこ)でも動かない。

 けれども、この頑固さがアンフィールドの常軌を逸した声援を生み出す源でもある。

この8年あまり、プレミアで最もハッピーな存在

18-19シーズンのCL準決勝でバルサを相手に大逆転勝利を収めた後、サポーターとともに大合唱するクロップ監督と選手たち。チームとアンフィールドの住人がいかに深い絆で結ばれているかがこのシーンからもよくわかる 【写真:REX/アフロ】

 ここで少し想像していただきたい。たとえイングランド全体を敵に回したとしても、頑なに信念を曲げず、言いたいことを言い続けるスカウスたちが、一致団結して、自分たちが心から愛するものに尽くすところを。当然ながらそれは凄まじいエネルギーの結集となる。

 これはビートルズと出会って以来「リバプール」という言葉と街が特別な存在となっている筆者の個人的な体感が基準となってはいるが、どこでも熱狂の渦が巻き起こるプレミアリーグの本拠地の中でも、アンフィールドほどの連帯と喧騒を生み出すスタジアムはない。

 その雰囲気は電撃的で、訪れる人は文字通り、しびれるような感覚を味わうことになる。近年では2019年5月7日に行われた欧州チャンピオンズリーグ準決勝の第2レグ。アウェーの第1レグで0-3の負けを喫したバルセロナを相手に4-0の勝利を収めて、2戦合計4-3とし、大逆転で劇的な決勝進出を決めた試合がその頂点に立つだろう。

 通常、有名な『YNWA(You’ll never walk alone)』はキックオフ直前に合唱されるが、この試合ではクロップ監督をはじめとする指導陣、選手一同が最も過激なサポーターが陣取るコップ・スタンドの前で肩を組み、試合終了後にもう一度大合唱した。

 この瞬間、アンフィールドが世界で最も幸福な場所となった。

 欲を言えば、ファンはクロップ政権にもう少し多くの優勝を勝ち取ってほしかったことだろう。南野の最後のシーズンとなった2021-22シーズンでは4冠を追いながら、プレミアリーグでマンチェスター・シティにまたも勝ち点1差で優勝を許し、欧州チャンピオンズリーグは決勝でレアル・マドリーに0-1で惜敗。結局はリーグ杯とFA杯の国内カップ2冠で終わった。

 しかし、ドイツ人闘将のアグレッシブ極まりないヘビーメタル・フットボールがスカウスの一徹な気性と完全に呼応したこの8年あまりの間、プレミアリーグの中でリバプール・サポーターほどハッピーな存在はなかったと、それは断言できる。

 そして今後も、スカウスの頑なな一致団結が、リバプールのサッカーを熱く激しく盛り立てていくことに変わりはないのである。

(企画・編集/YOJI-GEN)

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著者プロフィール

1962年3月24日福岡県生まれ。1993年に英国人女性と結婚して英国に移住し、1998年からサッカーの取材を開始。2001年、日本代表FW西澤明訓がボルトンに移籍したことを契機にプレミアリーグの取材を始め、2024-25で24シーズン目。サッカーの母国イングランドの「フットボール」の興奮と情熱を在住歴トータル29年の現地感覚で伝える。大のビートルズ・ファンで、1960・70年代の英国ロックにも詳しい。

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