書籍連載『THE RISE 偉大さの追求、若き日のコービー・ブライアント』

突出していたコービーの感性と学びの姿勢 NBA後のキャリアを特徴づける恩師との出会い

ダブドリ編集部

【Photo by Lisa Blumenfeld/Getty Images】

 父ジョーからはバスケットボールを、母パムからは規律を学んだコービー・ブライアントは、幼い頃からコート上でその才能を輝かせていた。しかし、13歳でイタリアからフィラデルフィアに戻ったコービーは、バスケットボールという競技だけでなく、逆カルチャーショックやイタリアから来たよそ者というレッテルとも戦うことになってしまうのだった……。

 マイク・シールスキー 著『THE RISE 偉大さの追求、若き日のコービー・ブライアント』はNBAレジェンド、コービー・ブライアントがフィラデルフィアで州大会優勝を成し遂げ、レイカーズに入団するまでの軌跡を描いています。この連載では、コービーの高校時代を彩るさまざまな要素を一部抜粋の形でご紹介します。
 ジーン・マストリアーノは10年生の上級レベルのクラスで文章の書き方を教えるにあたって、まるでアスリートが試合や大会やコンテストの準備をするように取り組んでいた。

「身体を鍛えて強くするためには様々なトレーニングをします」と彼女は言う。

 生徒にも様々なことをやって頭を鍛え、あらゆる文章のスタイルや種類を次々とこなすことで柔軟さや自信を身につけてもらいたいと考えていた。詩や脚本、私的エッセイや物語などを書かせ、手加減せずにお互いの作品の批評をさせた。日記や日誌は書かせなかった。その代わり文章用ノートをつけさせた。彼女の指示があると、まるで徒競走のスターターピストルが打たれたかのように、生徒たちは三分や五分間、何か美しいものがページに書き記されるまで暴走列車のような勢いで頭や心に浮かんだアイディアをノートに書き続けた。お互いの文章について語り合うときは、歯を剥きだすぐらい真剣にやるべきだと彼女は考えていた。

 1987年にローワー・メリオン高校の英語学科に専任講師として加わって以来、彼女は生徒たちが安心して自由に語れるような環境を築いたが、甘やかしていたわけではなかった。この文章は成功しているか、していないか? その理由は? 掘り下げてみよう。未知の領域に立ち入ろうとしているなら、リスクを犯さないと。だれでもリスクは犯すものだし、そうしなければ爽快感を感じるような体験はできない。

 自分を驚かせなさい。教室の壁にはミケランジェロのダビデ像の全身写真を貼っていて、生徒の親からヌードだと抗議を受けると、海水パンツの形に切ったホットピンクの付箋を像の股間の上に貼り付けた。彼女はカリスマ性があり、機知に富んでいた。

 ロンドン大学で一年間英文学を学んだ彼女は、自分のクラスにシンプルなルールと基準を設けていた。彼女の好きなフレーズである「スカートの下から思いっきり太陽に照らされる(※本当のことを隠すために聞こえの良いことばかり言う)」ことを嫌った。準備をせずに授業に現れた場合や課題を読んでいない場合は、黙っていること。そこに座って、その場しのぎのお喋りやクリフスノート(※授業で使われるような文学作品の要約が載っている本)を見た程度の感想などは慎むこと。授業の間は出来る限りのことを吸収し、課題の遅れを取り戻して翌日は参加できるように準備すると誓えばいいのだ。彼女とコービー・ブライアントが親しくなったのは無理もなかった。

 学業に関して、コービーは家でもマストリアーノが学校で確立したものと似たようなルールの下で暮らしていた。パムには決まりがあった。この家ではスポーツや充実した交友関係よりも学業が優先だった。もちろんコービーとシャリアとシャヤがバスケットボールやバレーボールをしたり、友達と電話で話したり、コービーの場合は自分の部屋にこもってマジックやマイケルの試合映像を研究することは許されていた。しかし、それが許されるのは、宿題を済ませ、決められた数少ない家事を終えてからだった。パムは、AAUの週末遠征から帰宅して、汗臭い服がそこらじゅうに散らばったコービーの部屋についてくどくど言うことが多かった。

 一度、マストリアーノはキンダーガーテンのクラス相手に生徒たちがショートストーリーを読み聞かせる機会を設けた。するとコービーは自分が書いた物語の中で、子供達をベッドから引きずり出す汚れた服のおばけを登場させた。彼女はコービーが自分自身でも知らなかった一面を解き放ち、それは彼のNBA後のキャリアを特徴づけることにもなった。

「彼女は自分が教えていることに対して本当に情熱的で素晴らしかった」とコービーは語ったことがあった。

「物語を語ること(ストーリーテリング)が世界を変えることができると固く信じていたんだ」

 コービーにとってほとんどの授業が義務的なものだったとしたら、マストリアーノの授業は逃避だった。それは彼にとってなくてはならないものとなった。彼女は「英雄の旅(ヒーローズ・ジャーニー)」のテーマを中心に授業の教材を用意していて、まずは映画『スター・ウォーズ』を授業で見せて生徒たちにルーク・スカイウォーカーというわかりやすい事例を与えてから、ギリシャ神話やジョーゼフ・キャンベルの著書、とりわけ代表作である『千の顔を持つ英雄』を取り上げた。

 15歳という年齢にも関わらず、自分の人生もその軌道を辿っているとコービーが信じていたことはマストリアーノから見て明らかだった。授業の教材は彼にとってまるで静脈に打たれたドラッグのようで、自分や自分の将来に対する壮大なビジョンを養う糧になった。

 彼は『イリアス』を読んで自分自身に問いかけた。俺は怒りに突き動かされたアキレウスと、誇り高きヘクトールのどちらに自分を重ね合わせるのか? キャンベルは「冒険への召命」は「運命が英雄を召喚し、精神の重心を自分がいる社会の境界から未知の領域へ移動させることを意味している」と書いた。マストリアーノからすると、コービーはその召命を検討していて、それに伴う危険に向き合おうとしていた。コート上の残り九人の選手にとってコービーのプレースタイルは、自分たちからは離れたところにある未知の領域以外の何でもなかった。

 クラスでは『オデュッセイア』の第九歌も読んでいた。その話の中で、キュクロープスから見事なまでの才気溢れる脱走を成し遂げたものの、自惚れたオデュッセウスは怪物を挑発し、怪物は砕いた山頂をオデュッセウスの船に向かって投げつけ、彼らは危うく死にかけた。コービーがボールをパスしないことに対する怒りと、彼のエゴはチームを助けるよりも傷つけているとささやくチームメイトたちの不満は、この寓話と同じではなかっただろうか。

「ギリシャ神話の神々を敵に回すようなスワッガーは、コービーが同級生たちに嫌われ、拒絶された理由と同じものだった」とマストリアーノは言った。下品に言うと、「英雄の旅」の比喩はコート上でのコービーの自己中心的な態度を都合よく正当化するものだった。良く言うと、心を守り、頭脳とインスピレーションを与えてくれる鎧だった。これが彼の運命(さだめ)だった。彼を止めるものも、彼を止められるものも何もなかった。

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著者プロフィール

異例の超ロングインタビューで選手や関係者の本音に迫るバスケ本シリーズ『ダブドリ』。「バスケで『より道』しませんか?」のキャッチコピー通り、プロからストリート、選手からコレクターまでバスケに関わる全ての人がインタビュー対象。TOKYO DIMEオーナーで現役Bリーガーの岡田優介氏による人生相談『ちょっと聞いてよ岡田先生』など、コラムも多数収載。

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