“不撓不屈の男”渡邊雄太が雪辱を誓う 「強くなったバスケ日本代表」を見せる時が来た

テレビ朝日

アメリカ挑戦を決断した高校時代

尽誠学園高校では全国大会(ウインターカップ)で準優勝を経験 【写真:アフロスポーツ】

 努力を続けた渡邊は、高校2年次に全国大会で準優勝を経験。高校最終学年を迎える前の春休み、誘いを受けた東京の大学を見学した帰り、仰天の計画を母親に打ち明けた。母親が当時を振り返る。

「2つの大学を見学させてもらい、『どちらの大学にするのか決めた?』と聞いたら、『お母さん、どちらにも行かない。僕はアメリカに行きたい』と。そこで初めて言われました」

 当時18歳の渡邊は憧れのNBA入りへ、より高いレベルを求めて単身でアメリカへ渡ることになる。地元の高松空港で迎えた旅立ちの日について、父親が息子とのエピソードを明かした。

「今でも覚えているのは、高松空港に送って、あえて成田空港まで(一緒に)行くことはできたんですけど、ここで止めたんですよ。『ここから先はお前が切り拓け』と。成田空港からいよいよ(アメリカに)飛ぶ時に『お父さん、いろいろありがとう。もう少し緊張するかと思ったけど、今は楽しみしかない』といったメールが届きました。こういう気持ちで(アメリカへ)行ったら、もしかしたら成功するかもしれないと」

世界最高峰の舞台で葛藤の毎日でも「止めなくて良かった」

NBAデビューから5シーズンを戦い抜いてきた渡邊は確実にステップアップしている 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】

 アメリカ挑戦から5年後にNBAデビューを飾り、5シーズン目の2022-23シーズンには一時リーグトップの3ポイントシュート成功率を記録。スタッツを含め確実にステップアップしているが、「正直ずっとしんどかったです。NBA(挑戦)を止められるタイミングはいくらでもあったかなと思っています」と、渡邊らしからぬネガティブな言葉が出てきた。

「いや、もうずっとそれとの葛藤です。メディアの前では弱音を言わないようにしているので。『やるとか、続ける』と言うことによって、嘘をつくわけにいかないので、やり続けているだけです。しんどくても止めなくて良かったと本当に思っています」

 冒頭のコメントは、19日の強化試合後、有明アリーナにて行われたワールドカップ壮行会で渡邊が発した言葉だ。すべては5戦全敗を喫した前回大会の汚名を返上し、パリオリンピックの出場権を得るため。「あの悔しい気持ちは今でも忘れていません。同じ気持ちを絶対に味わいたくないので、強くなった日本代表を沖縄で見せられたらと思います」。「バスケットに人生を懸けてきた」渡邊雄太が今度は日本代表の未来を切り拓く。

(構成・編集/フロムワン)

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