“不撓不屈の男”渡邊雄太が雪辱を誓う 「強くなったバスケ日本代表」を見せる時が来た
アメリカ挑戦を決断した高校時代
尽誠学園高校では全国大会(ウインターカップ)で準優勝を経験 【写真:アフロスポーツ】
「2つの大学を見学させてもらい、『どちらの大学にするのか決めた?』と聞いたら、『お母さん、どちらにも行かない。僕はアメリカに行きたい』と。そこで初めて言われました」
当時18歳の渡邊は憧れのNBA入りへ、より高いレベルを求めて単身でアメリカへ渡ることになる。地元の高松空港で迎えた旅立ちの日について、父親が息子とのエピソードを明かした。
「今でも覚えているのは、高松空港に送って、あえて成田空港まで(一緒に)行くことはできたんですけど、ここで止めたんですよ。『ここから先はお前が切り拓け』と。成田空港からいよいよ(アメリカに)飛ぶ時に『お父さん、いろいろありがとう。もう少し緊張するかと思ったけど、今は楽しみしかない』といったメールが届きました。こういう気持ちで(アメリカへ)行ったら、もしかしたら成功するかもしれないと」
世界最高峰の舞台で葛藤の毎日でも「止めなくて良かった」
NBAデビューから5シーズンを戦い抜いてきた渡邊は確実にステップアップしている 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】
「いや、もうずっとそれとの葛藤です。メディアの前では弱音を言わないようにしているので。『やるとか、続ける』と言うことによって、嘘をつくわけにいかないので、やり続けているだけです。しんどくても止めなくて良かったと本当に思っています」
冒頭のコメントは、19日の強化試合後、有明アリーナにて行われたワールドカップ壮行会で渡邊が発した言葉だ。すべては5戦全敗を喫した前回大会の汚名を返上し、パリオリンピックの出場権を得るため。「あの悔しい気持ちは今でも忘れていません。同じ気持ちを絶対に味わいたくないので、強くなった日本代表を沖縄で見せられたらと思います」。「バスケットに人生を懸けてきた」渡邊雄太が今度は日本代表の未来を切り拓く。
(構成・編集/フロムワン)