ネイサン・チェンが初めて明かす 金メダル獲得までの苦悩と栄光

平昌五輪でのひどい演技から積みかさねてきた4年間の練習 ネイサン・チェンが北京五輪で果たした雪辱

ネイサン・チェン

2019年のGPファイナルで金メダルを獲得したネイサン・チェン(中央) 【写真:ロイター/アフロ】

 ネイサン・チェンが初めて明かす 金メダル獲得までの苦悩と栄光――。

 北京五輪のフリーで5度の4回転ジャンプを決め金メダルを獲得したネイサン・チェン。その栄光の裏には、想像を絶する苦悩の日々、家族やチームとの絆があった。

 トップスケーターが舞台裏を語り尽くす貴重な回顧録『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』から、一部抜粋して公開します。

脳裏をよぎる不安と戦いながら達成した満足の演技

 優真が得点を待っているあいだ、ぼくは氷に乗って2分間のウォームアップをはじめた。この短い時間では、ジャンプを跳ぶ順番を決めているので、いつもどおりに3回転をこなしていった。トリプルアクセル、トリプルフリップ、トリプルルッツ、そしてトリプルサルコウ。サルコウは4回転として跳ぶとき、最も心配なジャンプだ。あのときフリー前のウォームアップで跳んだトリプルサルコウは、ほかに言葉がないくらい、どれもこれも最悪だった。思いどおりの踏み切りができず、エッジのインサイドで氷をぐっと押すたびに、足首が倒れて思ったような高さが出ない。北京にいるあいだじゅうで、一番ひどいトリプルサルコウだった。

 また不安が頭をもたげてきたが、これまでエリックと何度もやりとりしてきたように、意識してこのもやもやを逆方向に振りむけようとした。必要な高さが出ない理由はわかっていたので、これまで何万回もやってきたように、うまくいかない部分を調整することに神経を集中する。たとえ踏み切りが理想的でなくても、跳びいそがず、体をうしろへ投げだすつもりで必要な回転数を得る。

 実際の演技でも、踏み切りはぐらついたものの、全神経を集中して体をうしろへ振り、1、2、3、4回まわってころばずに着氷できた。着氷もななめではあったものの片足で立てたから、修正作業は正しかった。ぼくのなかではけっして最高の4回転サルコウではなかったが、クリーンに跳べたサルコウよりむしろ誇らしかった。以前だったら、ウォームアップがあれだけひどければ、きっとパンクしたり転倒したりしていただろう。でも、今回はどうにかおりることができた。それというのも、たぶん踏み切りが弱くなると予想して、それを修正する方法をあらかじめ考えていたからだ。

 単独の4回転ルッツを跳ぶと、一番難しいジャンプが終わったので喜びがこみあげた。このあとはとにかくころばないことだ。残りのジャンプのひとつは4回転トウループ―オイラー―3回転フリップの3連続ジャンプだった。しかしトウループはおりたものの、いきおいがなくて、トリプルフリップにつなげられず、シングルフリップになってしまった。トリプルフリップをトリプルサルコウにする手もあったが、以前に練習で試したとき、プログラムのパターンが崩れて、つぎのトリプルアクセルを跳びそこねてしまった。だからここは3連続の3本めをシングルに抑えてエネルギーを温存し、トリプルアクセルをきれいに跳ぶことにした。そのあとにもうひとつトリプルルッツ―トリプルトウループのコンビネーションを跳ぶと、大物はすべて終了だ。

 あとは最後のコレオシークエンスを楽しみたい。でも全米選手権のときのように、喜びすぎてころばないようにしなくては。コレオシークエンスを真に輝かせるためには、曲の盛りあがりとテンポに見合うよう、エネルギーレベルを最大限に押しあげることが必要だ。スライドのところで、体重がうしろにかかりすぎてちょっとだけ足を滑らせかけたが、終わってみればコレオシークエンスはとてつもなく楽しかった。思わず満面の笑みがこぼれた。「たぶんいける。オリンピック優勝だ」という思いが脳裏をかけめぐる。一瞬、「母さんはきっとトウ―フリップのこと怒ってるな」という考えが浮かんだが、キスアンドクライにすわって得点が出ると、ひたすら喜びがこみあげてきた。やはり難度の高い構成をつらぬいてよかった。できるかぎり得点を稼ぐ必要があったのだから。

オリンピックチャンピオンになった瞬間に報われた苦労

 ついにやった。2018年、初のオリンピックでひどい経験をしてから、ぼくは自分を信じ、よりよいオリンピックを味わいたくて、もう4年間練習を積みかさねてきた。あれだけの長時間をリンクで費やし、さまざまな不安に悩まされ、それらすべての末に、とうとう自分の名前の横に数字の「1」が輝いた。

 ぼくはオリンピックチャンピオンになったのだ。

 オリンピックの金メダルをもちかえることができるのだ。
 スコアが出たとき、ラフが最初にいったのが「たどり着いたな!」というひとことだった。当然のことながら、金メダルを取ったという意味だと思ったら、新型コロナに感染せずにやりとげたというジョークだったといわれて、笑ってしまった。

 ラフが喜んでくれたこともほんとうにうれしかった。ありとあらゆることをくぐりぬけて、ぼくがこういうスケーターになれたのはラフの指導によるところが大きい。このシーズン中、ラフは何度もぼくにいった。

「ネイサン、わたしはまだ教え子がオリンピックの金メダルを取ったことがないんだよ。また別のスケーターをオリンピックに連れてきて、金メダル候補にするチャンスがあるかどうかわからない。ネイサン、きみがわたしの最後の望みだ」

 そういわれるたび、ぼくは真っ先に「勝てなかったらどうしよう?」と思っていた。

 オリンピックシーズンのあいだじゅう、ぼくは、自分が練習するのはラフや、母や、ほかの誰かのためではなく、自分自身のためだと自分にいいきかせてきた。けれど金メダルを取ってみると、やはり自分のためだけではなかったことが、しみじみとわかった。この旅はひとりでできるものではない。

 メダルセレモニーで、ぼくはメダルをもちあげてその重みを味わった。思ったよりはるかに重いメダルだった。ついにぼくのものになったのだ。

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