「氷に埋もれて消えてしまいたかった」 平昌五輪のリンク上でネイサン・チェンを襲った絶望感
氷に埋もれて消えてしまいたいほどの絶望感に襲われたネイサン・チェン 【写真:ロイター/アフロ】
北京五輪のフリーで5度の4回転ジャンプを決め金メダルを獲得したネイサン・チェン。その栄光の裏には、想像を絶する苦悩の日々、家族やチームとの絆があった。
トップスケーターが舞台裏を語り尽くす貴重な回顧録『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』から、一部抜粋して公開します。
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悪夢の団体戦
名前を呼ばれてリンクに立ち、ショートプログラムの「ネメシス」のスタートポジションについた。顔を上げたその瞬間、目に飛びこんできたのはあの5つの輪、オリンピックのシンボルマークだった。体が固まった。
ぼくは思った。「よりによって、なんであれを見ちゃったんだ?」。必死で目をそらそうとしたが、もう遅い。音楽がはじまってしまった。あの5つの輪とその意味を考えずにやりすごすなんて、無理な話だった。今ぼくがいるのは、オリンピックのリンクなのだ。
なんとか最初のジャンプにそなえようとしたが、両脚の動きがまったく嚙みあわないし体に力が入らない。あわてて跳びすぎたせいで4回転フリップは着氷で足が滑り、コンビネーションに予定していた3回転トウループが2回転になってしまった。2本めに予定していた4回転トウループもパンクして2回転になった。観客が「ああーーーー」と声を漏らす。最後のジャンプはトリプルアクセルだったが、着氷で大きくうしろにかたむきすぎて、ころんでしまった。つまり、3本のジャンプすべてでミスしてしまったのだ。
氷に埋もれて消えてしまいたかった。
恥ずかしくてたまらなかった。これ以上、演技をつづけたくない。あのとき頭にあったのは、「今すぐリンクから出ていきたい」。それだけだった。
「ゴミみたいな演技をしちゃった」と途方に暮れたショートプログラム
ようやくスコアが発表されてその場を去ることができた。ぼくは一目散に、試合会場の下の階にある練習用リンクへと向かった。スケート靴も衣装もそのままで、たった今失敗したジャンプをもう一度試そうと重い足取りで練習用リンクに入った。 男子シングルに出場するほかの選手が、予定されていた練習時間に合わせて滑っていた。ぼくを見て驚き、「今、滑ったんじゃないの?」と声をかけてきた。
「そうなんだけど、ほんとうにゴミみたいな演技をしちゃったんだ。なにもできなかった」と答えてから、こみあげる涙をこらえながら滑りだした。失敗したジャンプを試して、また3回ともすべてころんだ。ぼくは途方に暮れた。
少し落ち着くと、ぼくは団体戦での失敗についてあれこれ理屈をつけて考えはじめた。「そうだ、少なくともこれで悪い演技は出しつくした。男子シングルの個人戦では、きっとよくなるはずだ」。けっして団体戦を軽視していたわけではないけれど、とにかく過ぎたことは忘れて気持ちを切りかえたかったのだ。
おかしな話だが─今振りかえるとおかしいと思えるが、当時は大真面目だった─、つぎの試合をどう乗りきるか、ぼくに思いつくのは迷信めいたことばかりだった。たとえば「スケート靴のひもを別の方法で結んだら、こんどはうまくいく」とか、「決まった時間にシャワーを浴びるか、決まった方向で携帯の充電プラグを挿しこめば、うまくいく」という感じだ。