ネイサン・チェンが初めて明かす 金メダル獲得までの苦悩と栄光

「氷に埋もれて消えてしまいたかった」 平昌五輪のリンク上でネイサン・チェンを襲った絶望感

ネイサン・チェン

支援のネットワークから孤立して遅れたメンタルサポート

平昌五輪当時は、自分にメンタルサポートが必要だという考えは一切頭に浮かんでこなかったという 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 ともかく、団体戦のショートプログラムの前にしていたことと反対のことをしさえすれば、個人戦ではよい結果になると思おうとした。なぜうまくいかないのか、ぼくにはぜんぜんわかっていなかった。そのときは、食事も練習も必要なことはすべてまちがいなくやれていると思っていたからだ。答えもないまま、ひたすらこの正体不明の迷信に頼ることで、自分をふたたび試合に向かわせようとしていた。

 でも、アスリートのパフォーマンスとはそういう類のものではない。

 こうした悪循環は、ぼくが支援のネットワークから孤立してしまっていたこととも関係していた。家族は応援に来ていたけれど、ぼく自身はオリンピック会場の選手村にいて連絡が取りづらかったし、練習やトレーニングや回復のために休養を取ることに忙しく、家族とゆっくり過ごす時間をもつのがむずかしかった。選手村に気楽に話せる相手もいなかった。もともと人見知りをするほうだし、ストレスのせいできっと近寄りがたい空気を出していただろうから、さらに孤立は深まった。ほとんどの時間、ひとりで部屋にこもり、どうしたらましな演技ができるか、突拍子もない思いつきばかりをぐるぐる考えこんでいた。

 ほんとうは、アメリカの連盟に支援を頼むべきだったのだと思う。でも、自分にメンタルサポートが必要だという考えは一切頭に浮かんでこなかった。そのときになってもまだ、自分の問題はすべて身体的なことだと思っていた。試合の前、とりわけオリンピックという大舞台を前に、尋常でないくらいに緊張しているだけだから、身体面で解決する方法はないかとばかり考えていた。誰かに、特にチームの外に助けを求めようとはとても思えなかった。ぼくが頼りにしていたのは、母であり、ラフだった。ふたりが自分にとって助けになるようなことをなにもいってこないのなら、あるいは特別に伝えなくてはいけないと思うことがないのなら、そういうことなのだと。

 頼れるのは自分だけだった。

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