平昌の挫折を経て北京五輪に挑んだネイサン・チェン 高難易度のジャンプを後半に回した理由は?
ネイサン・チェンは2022年の北京五輪でアメリカの団体銀メダルに貢献した 【エンリコ/アフロスポーツ】
北京五輪のフリーで5度の4回転ジャンプを決め金メダルを獲得したネイサン・チェン。その栄光の裏には、想像を絶する苦悩の日々、家族やチームとの絆があった。
トップスケーターが舞台裏を語り尽くす貴重な回顧録『ネイサン・チェン自伝 ワンジャンプ』から、一部抜粋して公開します。
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団体戦ショートプログラム
でも、今回はちがっていた。平昌のときは、なんとか感じかたを変えたくて、むりやり気持ちを盛りあげようとしたものの、うまくいかなかった。今回は、感じかたを変えることはできないと知って、自分の心を別の方向に振りむけた。これまでに何度も完璧なジャンプを跳んだこと、プログラムをノーミスで滑ったことを思い出す。体がまだ準備できていないと感じていたとしても、ぼくはこのショートプログラムを何度もつづけてノーミスで滑ってきた。今は脚も疲れていないのだから、必ずノーミスでできるはずだと自分にいいきかせる。
それからこうもいいきかせた。うん、ミスをする可能性はある。でもぼくの体は、空中に跳びあがって4回まわり、正しいエッジでクリーンに着地して完璧なジャンプを遂行するすべを知っている。エリックはいつも、大事なのはその場の感情ではなく、自分にどういいきかせるかだと強調していた。
こういったすべてのことを心にきざみながら、ぼくはリンク中央まで滑っていって最初のポーズを取った。その瞬間、今回は大丈夫、4年間の練習と経験を生かせるとわかった。
平昌のときと同様、団体戦では、リンクサイドに参加10か国の応援席があり、チームメイトが応援している。4年前にチームUSAの応援席を見たときは「やばい、これは緊張する」と思った。自分に注がれるチームメイトの視線と、いい演技をしなくてはというプレッシャーしか感じなかった。自分の演技がチームのポイントに直結するからだ。でも、メンタルトレーニングで新たに学んだテクニックで、今回はそのプレッシャーを感謝の気持ちに転換し、チームメイトの存在をプログラムを滑りきるための力に変えることができた。
ジャンプは3つとも成功した。ひとつおりるたびにチームメイトの歓声が聞こえて、みんなの応援が自信につながった。最後のポーズを決めると、どっと安堵感が押しよせてきた。
試合後、メディアは予想どおり、ぼくが4年前のくやしさを晴らし、重荷をおろしたという記事を配信した。でもぼくにはそうは思えなかった。氷から上がった瞬間にはもう、この演技を超えるにはどうすればいいかを考えはじめていた。4日後の個人戦で、またおなじショートプログラムを滑らなくてはならない。だからうれしくはあったものの、あまり喜びすぎないようにしていた。