平昌の挫折を経て北京五輪に挑んだネイサン・チェン 高難易度のジャンプを後半に回した理由は?
ルッツを後半にまわす理由
北京五輪では難易度の高いジャンプを後半に回す構成を組んだ 【写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ】
4回転フリップを最初に跳び、より高難度の4回転ルッツ―3回転トウループのコンビネーションを後半にまわしたのは、全米選手権が最初だった。北京では得点を最大限まで上げたかったので、全米と同様、ルッツ―トウのコンビネーションは後半にまわすことにした。そうすれば基礎点が1.1倍になる。NBCの解説では、タラ・リピンスキーとジョニー・ウィアーがこの構成を大きく取りあげて、高得点を狙う戦略だろうと語っていたようだ。
そのとおりではあるが、ほかにも理由があった。
ぼくの場合、4回転ルッツはコンビネーションにしたほうが着氷の確実性が増すのだ。ルッツをおりたあと、2本めのジャンプを跳ぶためのいきおいが必要だとわかっていると、単独ジャンプとして跳ぶときよりもルッツに流れを出しやすい。しかもルッツは、ほかのジャンプに比べてうまく跳ぶのに技術が必要だ。ルッツを跳ぶときは、左のブレードに乗ってぐっとカーブするのだが、跳びあがると、助走とは逆方向に回転しなくてはならない。その成否は、どれだけ氷に刃を食いこませることができるか、どれだけ深くエッジを倒せるかにかかっている。そしてそのためには、足首の動きが大切になる。
6分間練習が終わると、ぼくはいったんリンクから上がり、ほかの選手が演技をするあいだはスケート靴をぬいでいる。自分の順番が近づいてまた靴をはくときは、緊張感もあって、靴ひもをものすごく固く締めることが多いので、足首が曲げにくくなる。でもルッツを踏み切るときは、エッジを深く倒さないと、4回転できるだけの高さが出ない。ルッツを後半にまわせば、足首が温まって靴もはじめより柔軟になっているから、都合がいいのだ。たしかに前半よりは疲れがたまっている。でも、エッジをうまくあやつることができれば、4回転フリップよりもずっと体力を使わずに跳ぶことができるので、ルッツを後半に跳ぶのはぼくにとっては理にかなっている。
そんなわけだから、リスクはあるものの、4回転ルッツ―3回転トウループは後半にもっていきたい。しかもフリップをプログラム冒頭に跳ぶのにも意味がある。体力があるときはかなり成功率の高いジャンプだし、はじめにフリップを成功すれば、そのいきおいに乗っていけるからだ。
団体戦のショートプログラムでうまくいったので、4日後の個人戦もおなじ構成でいくつもりだった。しかし出だしがよかっただけに、かえってプレッシャーが増してきた。少なくとも団体戦とおなじくらい、願わくはそれ以上にいい演技をしなくてはならない。
団体戦でチームUSAは2位になり、メダルセレモニーは男子ショートプログラムの前夜に予定されていた。男子にとってはきびしい日程だ。翌日は午前中に試合があるのに、前夜遅くまでセレモニーがあるとゆっくり休めない。ぼくはアメリカ・オリンピック・パラリンピック委員会の役員に、翌日試合があるからセレモニーを欠席してもいいかと相談した。チームメイトとともに祝う機会を逃したくはなかったが、個人戦の前にはひと晩ゆっくり休みたかった。するとミッチ・モイヤーがメダルを取ったほかの2チーム─ロシアと日本─にも声をかけてくれて、みなメダル授与式の日程が男子選手にとってはきびしいということで意見が一致した。メダルを獲得した3チームは合同で、メダルセレモニーを男子ショートプログラムのあとに延期してほしいという意見書を提出した。ショートプログラムの翌日は休養日で、さらにその翌日にフリープログラムがおこなわれるという日程なのだ。五輪の組織委員会もこれを受けいれて、団体戦のメダルセレモニーは男子ショートプログラムの直後におこなわれることになった。
これであとは、「どうやってもう一度ショートプログラムをノーミスで滑るか」に集中することになった。つづく3日間、ぼくはこのことでとても緊張していた。団体戦ショートプログラムのステップシークエンスの最中にも、「ああ、これが個人戦のショートならいいのに。かなりいい演技ができているんだから」と考えていたほどだ。個人戦で、あれくらいの演技ができたらうれしい。でも今は、「あれをもう一度やらなければ」という思いしか浮かばない。
ぼくはエリックにどうやってこの不安を乗りこえればいいかと相談した。いくら団体戦でいい演技をしても、個人戦のショートプログラムで失敗したら、平昌五輪の二の舞になる。エリックは、失敗するかもしれないということではなく、何度も何度もうまくやったときのこと、プログラムをノーミスで滑ったときのことだけを考えるのだったよねといってくれた。そして、心配なジャンプのビジュアライゼーションをつづけ、着氷するところを思いうかべるようにといった。