今を輝くプロ野球選手たちの高校時代【日本ハム編】 甲子園でフィーバーを巻き起こした2人の主役
決勝で敗れたが、2018年夏の主役は吉田輝星だった 【写真は共同】
セ・パ12球団別に選手3名ずつをピックアップし、甲子園での活躍を振り返りたい。今回は日本ハム編だ。今をときめくスター選手の高校時代を振り返るとともに、ぜひ先輩たちの後を追いかける高校球児の活躍もチェックしてほしい。
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吉田輝星:金足農(秋田)
秋田で生まれ、秋田で育ち、秋田の県立金足農業高校に入学し、1年夏からベンチ入りした。2年夏には県大会で同校10年ぶりの決勝進出を果たすも、同じ2年生として山口航輝(現ロッテ)、曽谷龍平(現オリックス)がいた明桜に6回途中5失点でKOされて甲子園には届かなかった。だが翌夏、県大会決勝で再び明桜と対戦し、今度は9回4安打11奪三振の完封劇で聖地行きの切符を手にすることになった。
本格派右腕としての注目を集めて臨んだ夏の甲子園、初戦の鹿児島実(鹿児島)から自慢の“伸びるストレート”を武器に14奪三振を記録。9回9安打1失点の力投を演じる。続く大垣日大(岐阜)戦では9回6安打3失点13奪三振。そして3回戦では優勝候補に挙げられていた横浜(神奈川)を相手に9回12安打4失点14奪三振をマーク。初回に2点を奪われるも3回に自らの2ランで追いつくと、最速150キロを計測したストレートで相手打線をねじ伏せ、8回の逆転劇(5対4)に繋げた。
さらに準々決勝では近江(滋賀)を相手に、吉田が9回7安打2失点(自責1)に抑えると、9回裏に2ランスクイズが決まり3対2のサヨナラ勝ち。準決勝の日大三(西東京)戦も1点を争う好ゲームとなったが、吉田が9回を9安打1失点の5試合連続完投で2対1の勝利を収めた。決勝では“最強世代”の大阪桐蔭打線につかまって5回12失点(自責11)で敗れることになったが、地元出身者のみの県立高、そして6試合50イニング、計881球を投じた吉田の奮闘ぶりに大きな拍手が送られた。
あの夏以来、金足農は春夏通じて甲子園の舞台に立てていない。今夏も県大会初戦で秋田中央に延長タイブレークの末に4対5で敗れた。だが、同試合で吉田輝星の弟・大輝(1年)が公式戦デビュー。来年以降の“聖地帰還”に期待したい。
清宮幸太郎:早稲田実(西東京)
「東京北砂リトル」時代に世界大会で優勝し、米メディアから「和製ベーブ・ルース」と報道された清宮は、「調布シニア」でも全国優勝を果たす。そして鳴り物入りで早稲田実へ入学すると、すぐに「3番・ファースト」として快音を残し、早くも“清宮フィーバー”と呼ばれるような人気と注目を集めていた。
だが、その知名度に反して、夏の甲子園に出場したのは1年生だった2015年の1度のみだった。だが、その“1度”でスターになる。初戦の今治西(愛媛)戦で4打数1安打1打点、続く堀瑞輝(現日本ハム)を擁した広島新庄(広島)戦では4打数2安打1打点、そして3回戦の東海大甲府(山梨)戦で甲子園初アーチを含む3安打5打点の活躍を見せた。さらに準々決勝の九州国際大付(福岡)戦でも2号アーチを含む2安打1打点。準決勝で仙台育英(宮城)に敗れたが、1年生ながら大会を通して打率.474、2本塁打、8打点の好成績を残した。
清宮が再び甲子園に戻ってきたのは3年春。1年時以上に世間からの大きな注目を集めた中、初戦は明徳義塾(高知)に延長戦の末に5対4で勝利し、清宮は4打数1安打。続く2回戦の東海大福岡(福岡)戦では三塁打&二塁打の2安打を放ったが、チームは8対11で敗れた。そして最後の夏は、都大会決勝で東海大菅生に敗れて、甲子園には届かず。それでも履正社の安田尚憲(現ロッテ)、広陵の中村奨成(現広島)、そして九州学院の村上宗隆(現ヤクルト)らの同学年の強打者の中でも、頭一つ抜けた存在だった。
早稲田実は、清宮が卒業後は甲子園出場を果たせていないが、今夏、群雄割拠の西東京を勝ち抜けるか。そして、清宮が記録した高校通算111本塁打の歴代最多記録を更新した佐々木麟太郎(花巻東)は、その記録をどこまで伸ばすのか。注目点は多い。
万波中正:横浜(神奈川)
中学時代からすでに話題だった。テレビ番組で身長188センチ、最長飛距離140メートル、スイングスピード154キロの「スーパー中学生」として取り上げられた。名門・横浜高校では、2学年上に藤平尚真(現楽天)、石川達也(現DeNA)、1学年上に福永奨(現オリックス)、増田珠(現ソフトバンク)がいた中で入学後すぐに試合に出場し、1年夏の県大会で横浜スタジアムの大型ビジョンに直撃する135メートル弾を放って「スーパー1年生」と騒がれた。
甲子園デビューは、2年時の2017年夏だった。初戦で田浦文丸(現ソフトバンク)擁する秀岳館(熊本)戦に「5番・ライト」で出場して1安打を記録。1学年下の及川雅貴(現阪神)の後を受けて4番手としてマウンドに上がって146キロを計測するも、2/3回を2安打2失点。チームは4対6で敗れて涙を飲んだ。
3年夏、万波の背番号は「13」だった。春に極度のスランプに陥って一時、メンバー外になったからだ。だが、最後の大会が始まると一気に調子を上げ、南神奈川大会(※この年は記念大会のため、南北神奈川大会として開催)の4試合で打率.542、2本塁打、12打点と快音連発。特に準々決勝・立花学園戦で放ったバックスクリーン直撃弾は周囲を驚かせるものだった。だが、背番号「9」で出場した甲子園本大会では、1回戦の愛産大三河(愛知)、2回戦の花咲徳栄(埼玉)を相手にノーヒット。ようやく3回戦の金足農(秋田)で吉田輝星(現日本ハム)と対戦して2安打をマークしたが、チームは4対5で敗れ、不完全燃焼のまま大会を去った。
今夏の横浜も能力の高い選手を揃えながら攻守に高いレベルのチームとなっており、7月21日の準々決勝・相洋戦を迎える。
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