J30周年のMVPに輝いた43歳・遠藤保仁が語る チームを勝たせるための“術”
ガンバ“黄金の中盤”ができた理由
とにかくチームが勝つことが一番で、自分はその駒の1人でしかないと思っています。周りは誰が代表に入ってもおかしくなかったですし、監督やスタッフも含め、チームみんなが点をとって楽しんで勝ちたいという気持ちを持っていて、それを表現できるメンバーもそろっていたことが一番の大きな要因だと思います。
自らもゴールを決め、J1初優勝を勝ち取った2005年 【(c)J.LEAGUE】
ポジションについては、自分としてはこだわっていません。いわゆるボランチと呼ばれるポジションで試合をスタートしていましたが、試合中はどんどん動き回っていきます。ボールを持っている選手が“ボス”で、そのボスがどんどんと変わるのがサッカーです。自分がボスの時は次に何をするかを決めて、ボスじゃない時はボスのために汗を流す。
それが最も良いバランスでできていたのが、僕、フタ(二川孝広)、ハッシー(橋本英郎)、ミョウ(明神智和)というガンバ時代の中盤だったのかなと思います。ポジションがあってないようなものだったので、相手からすればやりづらかったんじゃないかなと思います。
ーーガンバにはマグロン、アラウージョ、マグノ・アウベス、ルーカス、レアンドロ、イ・グノなど強烈なストライカーが何人もいましたが、パスの出し手として意識していたことは?
それぞれの選手の特徴に合わせて、どんなパスが欲しいのかは考えていました。スピードがあるならスペースに走らせる、クロスに合わせるのが得意だったら浮き球を入れる、ドリブルで仕掛けるのが好きなら早めに預ける。個人の能力が高い選手ばかりですし、気持ちよくプレーさせてあげるのが一番なので。
ーーたくさんの監督の下でプレーしてきましたが、どの監督との出会いが印象に残っていますか?
どの監督も自分を信頼してくれて、良い関係性を築くことができました。ひとり挙げるとすると、フリューゲルスの時のカルロス・レシャックさんですかね。高卒ルーキーだった僕をスタメンに選ぶなんてことは、レシャックさんじゃなかったらありえなかったかもしれない。バルセロナで監督をされていて、ボールを大事にすることの重要性を教わりましたし、こういうサッカーがあるんだという発見がありました。プロになって最初に見てもらったのがレシャックさんだったことは、僕にとっては幸運でした。
代表ではチームメートとして日本を背負い戦った、同世代のライバルたち 【Photo by AMA/Corbis via Getty Images】
現役選手として迎える、30周年
単純にけがが少ないというのはあると思います。もちろん、試合に出るためには普段の練習からの積み重ねが大事ですし、どんなに自信があったとして、監督からの信頼を得られなければ試合には出られません。どんなプレーを求めているのか、どんなサッカーをしたいのかに合わせて、うまく整理しながらやってきているつもりです。
ーーゲームの主導権を掌握するぞという意識でプレーをしていますか?
はい。人より俯瞰してゲームを見る努力はしますし、極力ピッチにいる全員のポジショニングを確認しています。
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現役26年目の今季、第17節時点で14試合に出場するJリーグレジェンド 【(c)J.LEAGUE】
中盤の4人については、僕は実際に代表で一緒にやっているので、すごく楽しかったですし、言葉を交わさなくてもいいプレーができるイメージはあります。ただ、誰一人として守備はしないでしょう(笑)。めちゃくちゃ面白い試合をして5点をとるか、めちゃくちゃつまらない試合をして5点取られるかになりそうです。
ーー最後に、改めてJリーグ30年の最優秀選手として一言お願いできますでしょうか。
この30年という歴史のなかで数えきれないほどの選手がJリーグで活躍をして、日本のサッカーをつくりあげてきました。その代表がたまたま僕だったという感覚ではいますが、今回自分がMVPに選んでいただけたということは、皆さんに少しは認められたというか、それに値する選手になれたということかなと。
所属したチームのファン・サポーターの皆さんから投票をたくさんいただけたのであれば、それだけチームの勝利に貢献できたということですし、自分が所属していないチームのファン・サポーターからも評価をいただけていることも嬉しいです。いまだにブーイングを受けることもありますが、それだけ相手チームに不利益を与えるプレーができているということなので、僕自身としては賞賛の証だと捉えています。
今週末のゲームも頑張ります。