松坂大輔氏「一度は断った」始球式 “縁”感じる東京ドームで、引退後初マウンドへ
24年前、松坂氏は背番号18を背負い東京ドームで衝撃のデビューを果たした 【写真は共同】
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デビュー戦の地であることが背中を…
松坂 正直に明かすと、断りました(笑)。
――そうなのですか!
松坂 はい。なぜかというと、右肩を痛めて現役を退きましたが、今も痛いままです。実はこれまでにも始球式のオファーがいくつかあったのですが、投げることに関してはすべて断ってきました。だから、ライオンズの依頼も申し訳ないですが、最初はお断りさせていただいたんです。
――それでも最終的には受諾されたわけですが、松坂さんの背中を押してくれたものは何だったのでしょうか。
松坂 4月18日までまだ少し時間があることを考えたときに、現役の最終登板よりは「投げられるかな」という気持ちが湧いてきたことです。ホームに届くかどうか不安な気持ちはあるのですが、肩回りのトレーニングをしっかりとやって、始球式に臨みたいと思っています。
――東京ドームで松坂さんが投げるとなると、あの伝説のデビュー戦を思い出すファンも多いと思います。1999年4月7日、日本ハム戦で初先発を果たし、8回5安打2失点9奪三振でプロ初勝利を記録しました。
松坂 最初に始球式の話をいただいたとき、デビュー戦のピッチングを思い出しました。何かの“縁”と言っていいのかわかりませんが、始球式を引き受けるかどうか迷っていた自分を納得させるものとしては、十分すぎる場所です。
東京ドームだったからこそ、始球式でボールを投げる決断ができたと思っています。
――現役時代を振り返っていただきたいのですが、松坂さんにとって東京ドームのマウンドはどんなものだったのでしょうか。
松坂 ぼくにとっては非常に投げやすいマウンドでした。デビュー戦も、当時の監督である東尾(修)さんが、「松坂の投げ方なら、東京ドームのマウンドの傾斜が合っている」という判断で、あの試合に起用してくれたと聞きました。実際、東尾さんの読み通り、投げやすいマウンドでした。
――それはマウンドの硬さも関係しているのですか?
松坂 いえ、硬さというよりは傾斜なんですよね。表現が難しいですが、マウンドの形状がぼくには合っていました。
――今も思い出すような試合はありますか。
松坂 デビュー戦はもちろん覚えていますが、あとはWBCでも日本シリーズでも投げさせてもらって、抑えたこともあれば、打たれたこともたくさんあります。本当にたくさんの試合で投げることができ、良い思い出も苦い思い出もある球場ですね。