フロンターレ育ち、松長根悠仁の挑戦「苦しい状況を一気に打開できるような選手に」
今季プロキャリアをスタートさせた松長根悠仁に話を伺った 【(C)J.LEAGUE】
さっそく出場機会を得るなど順風満帆な滑り出しを見せている中で、「まだまだ実力が足りない」と感じながら歩む日々。トップレベルの選手がひしめくチームで、「トレーニングから学ぶべきことが多い」と話す松長根悠仁が見据えるこれからとは。(取材日:3月16日)
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川崎Fは「サポーターとすごく距離が近い」
5歳くらいの頃です。小さい頃から試合を見に連れて行ってもらっていたので、物心ついた時にはもう見ていた感じです。
ーー当時、印象に残っている選手や憧れていた選手はいますか?
レナチーニョやジュニーニョといった外国人選手が好きで、日本人では谷口博之選手が好きでした。小さい頃は前線のポジションをやっていたので、こうなりたいなと思って見ていました。
ーー当時からフロンターレでプロになりたいという思いが強かったのでしょうか?
そこまで強くはなくて、漠然とサッカー選手になりたいぐらいでした。「フロンターレでやってやる」みたいな気持ちはあまりなかったんですけど、小学5年生の時にジュニアに入って、そのときに「サッカー選手になるならフロンターレでなりたい」と思うようになりました。
ーー小さい頃から見てきたフロンターレの魅力をどんなところに感じていますか?
やはりフロンターレは地域の人やサポーターとすごく距離が近いというのを外から見ても思いますし、実際に自分が入ってもそう思います。自分も小さい頃に麻生グラウンドに行ってサインをもらったり、スタジアムに行って果物をもらったりしていました。シーズン前の商店街周りにも「誰か選手が来る」と分かれば見に行ったりもしました。今年自分も逆の立場になって不思議な気持ちはありますが(笑)。でもそこがフロンターレのいいところなのかと思います。
逆に負けて良かったと言えるくらいに...
松長根悠仁「高井(幸大)はライバルでもあり、仲間でもあるという思い」 【(C)J.LEAGUE】
ジュニアに入ってからです。最初はFWや右サイドハーフをやっていましたが、高井(幸大)もそうですけど、周りがうまくて。自分は下手くそだったので結果的にポジションがどんどん後ろになってしまいましたね(笑)。それでポジションが下がっていき、後ろに落ち着いた感じです。
ーーユース時代はプレミアリーグ初昇格・初優勝など素晴らしい成績を残したと思います。ユースの3年間はどんなふうに振り返っていますか?
個人としては1年生の頃、3年生に怪我人が少し出て、試合に出場させてもらっていたんですけど、できないことだらけで、すごく悔しい思いをしました。2年生になっても自分の中で納得いくプレーができず、3年生になってやっとやれるという自信を持てた感じです。最後の1年は高井や大関(友翔)と一緒に引っ張っていこうという思いもあって、2年生の時にプレミアの舞台へと上げることができたので、なんとか頑張ろうとやっていました。プレミアリーグのファイナルは勝ちたかったですけど、まだ自分の力が足りなかったというのもあるので、逆に負けて良かったと言えるくらいになればいいと思います。あそこで勝てていたら、もしかしたら「俺らが日本一だ」みたいに浮ついていたかもしれないですし、負けて悔しさをバネに練習できているのは良かったのかもしれません。
ーー一緒にユースから上がってきた高井選手はポジションも近いですけど、どんな存在ですか?
高井はライバルでもありますけど、今まで一緒に上がってきたという思いもあるので、ライバルでもあり、仲間でもあるという思いです。高井には(アンダー世代の代表に呼ばれて)一歩、先に行かれているなという悔しさがあります。ここにいる以上、自分もどんどん成長していけると思いますし、追い越せていけるように頑張りたいです。