フロンターレの初タイトルが川崎にもたらした経済効果より大事なもの
まちのシンボルとして根づいたフロンターレ
【(C)川崎フロンターレ】
「スタジアムだけではなく、等々力緑地全体の価値をどう高めていくかと考えたとき、サッカーだけでなく、多くの団体が自分のチームのために、等々力緑地をスポーツの聖地にしたいと考えています。そうしたとき、フロンターレが持つノウハウは欠かせませんし、海外のスタジアムやアリーナがそうであるように、スポーツ産業と関連産業を含めれば幅広い事業になるので、フロンターレが持つ経験、知識、アイデアには非常に期待しています」
最後に、川崎フロンターレは川崎のまちのシンボルになったのかを尋ねた。
「タイトルを獲る前から、シンボルといったイメージはありました。しかし、シビックプライドの話をしたように、タイトルを獲ったことでより市民の受け止め方が変わり、それによって、シンボルとして根づいたと思います」
全国の市長会に出席すると、他市の市長から「フロンターレ、強いですね」と、話題を振られる機会も多い。福田市長は、そこで改めて、川崎フロンターレがまちのシンボルとして存在していることを感じるという。
福田市長もまた、熱狂的なサポーターの一人とつづったが、一人の夫として、一人の父親としての会話がそれを強く感じさせてくれた。
朝食をしていると、妻がこう話題を提供してくる。
「小林悠選手の家はこんな料理を食べていたみたいよ」
「やっぱり、さすがだね。栄養バランスが取れているね」
小林悠の妻がInstagramで紹介した料理を見て、家族の団らんが始まる。それは間違いなく、福田市長がアメリカに留学していた時代に見ていた、感じていた光景だった。
そんな会話をしている、という話を聞いて思った。
川崎フロンターレは、川崎にとっての「 MY TEAM 」であり、「 OUR TEAM 」になっている。