スペイン戦での逆転と、森保監督が思い出した「ドーハの悲劇」 短期連載「異例づくめのW杯をゆく」

宇都宮徹壱

「ドーハの悲劇」の記憶と新しい時代の選手たち

ドイツ戦に続いてこの日もアスパイア・タワーの壁面に日の丸と拍手の絵文字が浮かび上がった 【宇都宮徹壱】

 さて、同時刻にアル・バイト・スタジアムで行われていた、コスタリカvsドイツはどうなっていたか? 前半はドイツが1点リードで折り返すも、コスタリカは後半25分の相手のオウンゴールで逆転に成功。この時点で、日本とコスタリカが勝ち点6となり、スペインにグループステージ敗退の危機が迫っていた。

 ちょうどそのタイミング(後半23分)で、日本は鎌田に代えて冨安をピッチに送り出している。「3人のCBがイエローをもらっていて、退場者が出るかもしれなかったので判断が難しかった」と森保監督。この勇気ある決断は、相手の右サイドへの攻撃に対して盤石の防御となった。

 再び、裏の試合が動く。途中出場のカイ・ハフェルツの2ゴールで、ドイツが逆転に成功すると、さらに1点を追加して4-2。仮にスペインが同点に追いつけば、得失点差で日本はドイツに追い抜かれることになる。後半44分にはジョルディ・アルバが、45分にはダニ・オルモが、相次いで際どいシュート。しかし、ここは冨安と権田のブロックで事なきを得る。

 やがて、アディショナルタイムが7分と表示される。この時、森保監督は29年前の記憶が蘇ったという。W杯アジア最終予選の最終戦で、土壇場でイラクに同点に追いつかれ、W杯初出場の夢を断たれた1993年10月28日の「ドーハの悲劇」。

 しかし、ピッチ上の選手たちが前向きにボールを奪いに行く姿を見て、指揮官は「時代は変わったんだ」と痛感したという。この時、ピッチ上にいた選手の中では、吉田と権田を除いて全員が1990年代の生まれ。彼らにとって「ドーハの悲劇」は歴史でしかない。そんな新しい時代の選手たちが、重たい歴史の扉をこじ開けようとしていた。そして、タイムアップ──。

 勝ち点6を積み上げ、しかもW杯優勝経験国であるスペインとドイツを抑えて、見事にグループ1位突破を果たすこととなった日本。もっとも、この歴史的意義について語るには、さらなる文量と時間が必要だ。実は私自身、まだ動揺している。次回に持ち越しとさせていただきたい。

<12月3日につづく>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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