会心のドラフト指名・ヤクルト編 「三冠王」村上を上回って1位に輝いたのは?
今シーズン、史上最年少の3冠王に輝いた村上だが、17年ドラフト時の主役は早稲田実業の清宮(日本ハム)だった。ヤクルトは「外れ1位」でこの若きスラッガーを獲得している 【写真は共同】
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伸び伸びとしたチームカラーで、歴史を振り返っても個性的な選手が多かった。今回のランキングからは漏れたが、野村克也前監督の「ID野球」で中核を担った池山隆寛(83年ドラフト2位)、飯田哲也(86年ドラフト4位)をはじめ、大矢明彦(69年ドラフト7位)、杉浦亨(70年ドラフト10位)、尾花高夫(77年ドラフト4位)、石井弘寿(95年ドラフト4位)、畠山和洋(00年ドラフト4位)なども、会心のドラフトを経て、のちに球界を代表する選手として活躍した。
10位:安田猛(71年ドラフト6位/投手/大昭和製紙)
身長173センチと小柄で、左のサイドスローから繰り出す直球は130キロ台前半だった。「プロで勝負するには球速が足りない」という評価もあるなか、ヤクルトアトムズ(当時の呼称)はドラフト6位で指名。プロ入り後は抜群の制球力と多彩な変化球を駆使した緩急自在の投球で、ルーキーイヤーから2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。右の松岡弘と並ぶ先発の軸として、75年からの4年間だけで計62勝。スローボールで強打者のタイミングを外す投球スタイルは芸術の域だった。
9位:松岡弘(67年ドラフト5位/投手/三菱重工水島)
一度は契約を見送られた松岡(写真)と体格と球速の不足を疑問視された安田だが、入団後は左右のエースとして70年代半ばのヤクルトを支えた 【写真は共同】
それでも心を折らずに、翌68年にはエースとして三菱重工水島を都市対抗初出場に導く快投を見せると、サンケイ側の謝罪を受けて、同年8月に入団。球団史上初のリーグ優勝と日本一に絶大な貢献を果たした78年には、沢村賞に輝いている。
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