連載:プロ野球ドラフト史「全12球団“ヒット指名”ランキング」

会心のドラフト指名・ヤクルト編 「三冠王」村上を上回って1位に輝いたのは?

平尾類
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今シーズン、史上最年少の3冠王に輝いた村上だが、17年ドラフト時の主役は早稲田実業の清宮(日本ハム)だった。ヤクルトは「外れ1位」でこの若きスラッガーを獲得している 【写真は共同】

 各球団がこれまでにドラフト指名した選手の中で、一番の“ヒット”だったと言えるのは誰か。無名の選手や他球団の評価が低い選手の才能を見抜き、のちにチームに大きく貢献することになる金の卵を手に入れた「成功例」を識者に挙げてもらい、順位づけもお願いした。最終回はヤクルト編。果たしてどの選手の指名がトップ10に入り、そして1位に選ばれたのは?
 常勝軍団の雰囲気が漂いつつある現在のヤクルトを束ねるのが青木宣親、山田哲人、そして村上宗隆だ。世代の異なる3人のスーパースターが球団の伝統を継承し、チームメートに大きな影響を与えているが、彼らも間違いなくドラフトの“ヒット作”だ。

 伸び伸びとしたチームカラーで、歴史を振り返っても個性的な選手が多かった。今回のランキングからは漏れたが、野村克也前監督の「ID野球」で中核を担った池山隆寛(83年ドラフト2位)、飯田哲也(86年ドラフト4位)をはじめ、大矢明彦(69年ドラフト7位)、杉浦亨(70年ドラフト10位)、尾花高夫(77年ドラフト4位)、石井弘寿(95年ドラフト4位)、畠山和洋(00年ドラフト4位)なども、会心のドラフトを経て、のちに球界を代表する選手として活躍した。

10位:安田猛(71年ドラフト6位/投手/大昭和製紙)

 早稲田大ではリーグ戦通算4勝と目立った成績を残せなかったが、大昭和製紙に入社して1年目の都市対抗野球で好投。最優秀選手賞にあたる橋戸賞を受賞する。

 身長173センチと小柄で、左のサイドスローから繰り出す直球は130キロ台前半だった。「プロで勝負するには球速が足りない」という評価もあるなか、ヤクルトアトムズ(当時の呼称)はドラフト6位で指名。プロ入り後は抜群の制球力と多彩な変化球を駆使した緩急自在の投球で、ルーキーイヤーから2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した。右の松岡弘と並ぶ先発の軸として、75年からの4年間だけで計62勝。スローボールで強打者のタイミングを外す投球スタイルは芸術の域だった。

9位:松岡弘(67年ドラフト5位/投手/三菱重工水島)

一度は契約を見送られた松岡(写真)と体格と球速の不足を疑問視された安田だが、入団後は左右のエースとして70年代半ばのヤクルトを支えた 【写真は共同】

 ヤクルト一筋18年間で通算191勝をマーク。73年に自己最多の21勝を挙げるなどエースとして右腕を振り続けたが、入団時の評価は決して高くなかった。67年ドラフトでサンケイアトムズ(ヤクルトの前身)から5位指名を受けるが、4位までの選手が全員入団したため契約が見送られる事態に。当時は指名されても入団を拒否する選手が多い時代だったため、決して珍しいことではなかった。

 それでも心を折らずに、翌68年にはエースとして三菱重工水島を都市対抗初出場に導く快投を見せると、サンケイ側の謝罪を受けて、同年8月に入団。球団史上初のリーグ優勝と日本一に絶大な貢献を果たした78年には、沢村賞に輝いている。
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著者プロフィール

1980年4月10日、神奈川県横浜市生まれ。スポーツ新聞に勤務していた当時はDeNA、巨人、ヤクルト、西武の担当記者を歴任。現在はライター、アスリートのマネジメント業などの活動をしている。

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