シダックス最後の監督が野村克也に出会うまで 「なぜ社会人は…」名将が尋ねた素朴な疑問
「お前、いくつになった?」
「38です」
「若いな」
「若いです」
「お前、監督やれ。俺は楽天に行く。次の監督はお前がいい。お前なら『ノムラの考え』を継いでくれるから、選手もやりやすい。考えを継承してくれるのは、俺も嬉しいから」
野村は田中が必死に野村の野球理論を学習し、実践していることをよく見ていた。選手から人望が厚いことも把握していた。
一日考えた。翌日に「正直、監督が辞める時は自分も辞めると覚悟していましたが、迷いは振り切りました。引き受けます。自分で良ければ精いっぱいやらせていただきます」と返事をした。野村は安堵の表情を浮かべた。
光栄だったが、そこからは苦行だった。
野村がシダックスのオーナー・志太勤(しだ・つとむ)に直談判したこともあり、廃部こそ免れたが、規模縮小は避けられなかった。31人のスタッフを26人に減らした。
「クビ切らなきゃいけなかったんで、相当恨まれたと思いますよ」
06年、野村抜きのシダックスがスタートした。3月の東京スポニチ大会では準優勝して意地を見せたが、都市対抗は予選で敗退した。そして8月終わり、志太から告げられた。
「今年いっぱいで野球部は辞めようと思う」
覚悟はしていた。「発表は9月6日以降にしましょう」と志太に伝えた。都市対抗決勝が9月5日。社会人最高峰の戦いに水を差し、紙面を奪ってはならないという配慮だった。
9月6日、関東村のグラウンドで志太はナインに解散を発表した。涙を流す者もいた。しかし監督である田中は、泣いている暇も落ち込む権利も有していなかった。
選手の中で引退を表明したのは25人中、2人。後は現役続行を希望していた。
田中はナインの再就職へ心血を注いだ。社会人野球の選手名鑑を熟読し、各チームの強化ポイントを把握するとともに引退選手を予想。最適な選手を売り込んだ。「見たい」と言われれば、日本全国どこへでも連れて行き、頭を下げた。
眠れない夜が続いた。ふと、たくぎん時代に仕えた指揮官のことを思い出した。
俺が辞めるって言って、休部が決まった時も、こんなつらい思いをしていたのかな――。
何とか23人全員の新天地が決まった。自身の元にも大学2校、高校2校から監督のオファーが届いた。だが断った。
「選手寮の片付けが終わらずに、途中だったんです。パネルも賞状もトロフィーの数々も置き去りのままで、自分たちの存在がどんどん消えていく……そんな気持ちを味わいましたが、片付けは止められませんでした。途中でほったらかし、次の仕事に行くことは抵抗があったんです。途中で丸投げしたら、志太さんに申し訳が立たない。僕はシダックスがあったから、輝かせてもらった。それに、野村さんを最後の監督にさせるわけにはいかなかった。チームを畳むのは、本当に大変ですから。ある意味、最後の監督が僕で良かったと思うんです」
愛しき日々である野村シダックスの3年間。一つだけ後悔がある。あの間、選手は社業を免除されていた。野村の指導の下で野球に専念し、とにかく勝てとの方針だった。
たくぎん時代に社業にも取り組んできた田中の見解は、少しだけ違う。
「極端な話、カラオケ店のお皿洗いでもよかった。会社ってこうやってお客さんからお金をいただいて、その一部が僕らの活動費になっていると実感できれば、明らかに野球が変わってくる。社会人野球とはそういうもの。仕事しながらの人生経験はエネルギーとなり、苦しいときの一打や一球につながる。無形の力になるんです。それがウチには足りなかったのかもしれませんね」
田中は09年、シダックスを去った。一般企業の営業職に就く傍ら、11年にはタイ代表のヘッドコーチを担った。そして、14年夏の新チームから昭和第一学園の監督を務めることになった。
部員たちには「ノムラの考え」を特集した新聞記事などのプリントを配り、熟読した上で感想を記すことを求めている。技術論だけでなくリーダー論、組織論、あるいは人としていかに生きるべきかなど、当時のミーティングで自身が瞳を輝かせ、学んだ内容ばかりだ。
「野村監督は『漫画でもいいから本を読め』『活字に触れろ』と、そこには厳しかったんです。今はスマホでちょちょいと調べて終わっちゃう時代。でも、読んで、考えて。『こんな考えもあるんだなあ』と、自分の力にしてほしいと思うんです」
即効性はないかもしれない。だが、いつか役立てばいいと考えている。
「彼らもいつかは社会に出て、若い人を導く立場になる。リーダーはどう振る舞うべきかはもちろん、あいさつやマナーの大切さを将来、『そう言えば高校時代、野村監督のあの考えを読んだことがあったな』と思い出せるようになってもらえたら、嬉しいです。私の教え子はノムラの孫弟子ですから」
今でもふと、「ノムラの考え」を開く時がある。
「ミーティングで『新鮮だな』『楽しいな』と感じた、あの頃の気持ちに戻れるんですよね。これからもずっと、心の支えです」
お前、監督やれ――。
しわがれた声が耳にこびりつき、離れない。
恍惚と不安を感じた38歳の秋。あの日の初心を呼び起こし、練習中のベンチでは当時の野村と同じ場所に座る。日々変化する選手の成長に目を凝らし、心に刻まれた恩師の教えを、若き力に注入する。
砂まみれの名将 野村克也の1140日
【写真提供:株式会社新潮社】