女子アイスホッケー代表を支えた守護神・藤本那菜 満身創痍で挑んだ北京五輪を終えて想うこと
チームに所属せずに迎えていた五輪シーズン
海外でのプレー経験を持つ日本の守護神は大会を通じて安定したプレーを披露。日本史上初の決勝トーナメント進出に大きく貢献した 【写真は共同】
世界選手権やオリンピックといった舞台を目指すのであれば、国内のクラブチームに所属してプレーするより、個人で自分のスキルを向上させていった方が、日本チームにとってのプラスにもなり、自分の目指しているところにいけるのではないかという考えもありました。また、若手にとっても、私が前に立っていくより、試合経験をたくさん積んでもらえた方がいいのではないかなと。それだけ世界と国内とでは差があるのではないかなと、いろんな経験をしてきて思うところがあったので。今回に関してはコロナの影響もあり、海外のチームに所属するのはなかなか難しかったのですが、そういった要素も考えて、何がベストかを自分で選択しました。
――チームに所属しないというのは厳しい選択で、かなり難しい時期もあったのではないでしょうか?
難しい時期だらけでした(笑)。本当にたくさんの方のサポートのおかげで、ここまで来られたかなと思います。本来であれば、しっかりチームに所属して試合数をこなしていけるのがいいのかなと思うのですが、自分のケガもあったり、代表活動としても毎月招集があって長期間の合宿も入ってきたり、という兼ね合いもあって。ポジションがプレーヤーとキーパーでは違うところもあるかとは思いますが、個人のスキルを伸ばすのが一番チームにとってプラスになると考えて、自分なりに追い込んできたかなと思います。
――藤本選手の負傷で小西あかね選手(日本代表のセカンドゴーリー)がゴール前に立つことになりましたが、どういう思いで見ていましたか?
あかね選手は次世代の選手で、これからを担っていってくれる選手でもあります。彼女にも、チームとしても成長していってもらいたいなという気持ちがあります。
今回の日本代表は得点力の強化をチームの目標として掲げていたと思いますが、やっぱり世界のトップでメダルを目指すチームとして上と戦うのであれば、ディフェンシブゾーンの守りの戦術をはじめ、キーパーの役割はすごく大きくなってくると思います。キーパー個人の成長と、チームとしての守備の成長がすごく重要になってくると感じています。
「今の自分の全ては試合で出し切れた」
ソチ、平昌に続く五輪出場となった藤本が明かす今後のビジョンは―― 【写真は共同】
今回は本当に“三度目の正直”という思いで、個人としても集大成、チームとしても3大会目の五輪出場という選手も多かったです。長年一緒にやってきた選手たちに台頭してきた若手の選手たちが加わり、本当にバランスのとれたチームだなと感じていました。これまでに2回五輪の舞台を経験してきましたが、これほどメダル獲得を近い目標として掲げられるチームはなかったかなと思います。自分としては、理想としていたベストなパフォーマンスが出せなくて残念な気持ちはあるのですが、今の自分の全ては試合で出し切ったかなと思っていて。本当にケガで難しいシーズンだったのですが、メディカルのスタッフをはじめ多くの方にサポートいただいて、この3度目の舞台に立つことができたのは、すごく感謝しています。
――集大成ということですが、今後は日本代表、またアイスホッケーとどうやって向き合っていくのでしょうか?
体はボロボロなので……。ケガの状態もあまり良くなくて、キーパーとしての動きはトップレベルでやるには難しいかなと思うので、日本チームは今後の選手たちに託せたらと思っています。陰で応援しながら次世代の育成などに携わって、若い選手たちに少しでもいい環境を作ってあげられたら、と。トップの日本代表に選考されてプレーしている選手たちだけではなくて、ホッケーを楽しんでやっている選手や国内でプレーしている選手、これからを担っていく選手たちのことも考えたいです。
また、ホッケーをやってみたいと思う子どもたちが増えてくれた時に受け入れる環境がなければ、なかなか普及もしていかないです。そのための環境を作ってあげられたらと思っています。ただ個人としては、どうやってホッケーに還元できるかはこれからゆっくり考えられたらなと思います。具体的なことはまだ何も考えてはいないのですが、本当に“次世代の子たちのために”というのは、思うところですね。
――もしケガが治ったら、復帰を考えるということはないのでしょうか?
そうですね、今のところ、結構ぎりぎりの状態で…世界選手権が去年の8月にあったのですが、その段階でもう両膝をケガしていて、さらに大会直前の練習試合で右手首も痛めました。加えて昨年12月に左手首も痛めて、もう本当に全身ケガみたいな感じになって。本当に今大会はリンクでプレーできただけでも、競技人生の集大成と言える場だったかなって思います。
インタビューの最後には、藤本はこみ上げる感情を抑えることができなかった。北京五輪は、ケガと不安を抱えて戦い抜いた大会だった。藤本那菜の名は、日本代表を支えた名ゴーリーとして歴史に残るだろう。