「もしF1復帰があるならコンストラクターとして…」ホンダ元MD・山本雅史が語る舞台裏と角田への期待

柴田久仁夫(auto sport)

昨年ホンダとともに世界の頂点に輝いた山本(一番左)に、ホンダ第四期F1活動の裏側を聞いた 【Photo by Mark Thompson/Getty Images】

 国内外のモータースポーツ業界で“ホンダの山本雅史”という名を知らない者はいない。かつては全日本カートに自らがステアリングを握って参戦していた経験を持ち、近年でいえばスーパーGT、スーパーフォーミュラという国内のトップカテゴリーでモータスポーツ部長としてホンダに数々の栄光をもたらした実績の持ち主だ。

 そのホンダでのキャリアのハイライトは、いうまでもなく昨年のF1世界選手権。
 ホンダにとっての参戦最終年、その最終戦アブダビGPにおいてマックス・フェルスタッペンが劇的な勝利を収め、見事にドライバーズチャンピオンを獲得──ホンダとともにマネージングディレクターとして世界の頂点に輝いた。

 そんなバイタリティにあふれる山本氏は2022年1月末に本田技研工業を退社。2月からは自らの手で設立した新会社で、新たな道を歩んでいくという。

 第四期F1活動でホンダが得たもの、来たる22年シーズンに向けた角田裕毅への期待、そして、ホンダから独立した山本氏がどのようなかたちでモータースポーツに関わるのか。独占インタビューで、その率直な胸の内を聞いた。

「PUマニュファクチャラーとして続けるのは限界がある」

山本(右から2人目)は「7年間かけて、ホンダの技術の証明ができた」と総括した 【Photo by Mark Thompson/Getty Images】

──まずは、昨年末でピリオドを打ったホンダF1第4期活動を総括してください。

山本 この7年間はホンダにとっても、非常に良い経験でした。もともとホンダはエンジンに自信のあった会社だった。しかしマクラーレンとのプロジェクトでは、お互いをリスペクトし過ぎてしまった。そのためにコミュニケーション不全が起きたし、お互いの驕(おご)りもあった。お互いのかけ算で最高のチームができると、お互いに思っていたと思うのですが、そうはならなかった。

 一方でそういう苦しい時期でも、トロロッソ(現アルファタウリ)のフランツ・トスト代表はずっとホンダを信じ続けてくれていた。そして、レッドブルのヘルムート・マルコさんは、「勝てる見込みがないPU(パワーユニット)メーカーとは契約しない」という非常に分かりやすい条件を出してくれた。そういうものすべてがホンダにとって励みになり、良い経験、教訓になりましたね。そんな7年間だったと思います。

──マクラーレンとの苦しい3年間を経て、18年からトロロッソ、そして19年からはいよいよレッドブルとの協力関係が始まりました。

山本 最後の3年間に合計で17勝したわけですが、そこに至るプロセスに関わったすべてのホンダの人々が、大きく学んだ。そこはホンダの財産だと思います。

 遅れて参加したホンダが、最後はメルセデスと対等に戦うところまでいき、なおかつドライバーズチャンピオンを獲った。ホンダの技術力の高さを、世界に知らしめることができた。その点はホンダとしてやり切った、ホンダのすごさを全社的にも共有できたと思います。7年間かけて、技術の証明ができた。ホンダという会社は「やればできる」ということを社内外で認識できたということです。

──一方で山本さんはマクラーレン時代から勝つことだけでなく、マーケティング、ホンダのブランド力向上がとても大事だと言い続けていました。

山本 メルセデス、ルノーがそうでしたが、PUマニュファクチャラーとして続けるのは限界がある。マーケティング、ブランディングをさらに高めようとしたら、コンストラクターとしてレースをやるべき。実感として、強くそう思いました。

 ホンダのマーケティングが弱いというのは、ひとつの課題です。その部分はレッドブルがすごくうまい。新型コロナウイルスの2年間は、その意味でもすごくもったいなかった。現場で学べることは山ほどあったわけですが、この状況では日本からは僕だけしか行くことができなかった。そこは申し訳ないと思うのと同時に、レッドブルのすごさは充分に理解できました。

──そこは次の挑戦で生かしたいですか?

山本 いつの時代か、ホンダがもし第五期参戦を考えるようなことがあったら、ちゃんと準備をしてコンストラクターとして参戦するのが、みんなが一番ハッピーなんじゃないか。それが僕の学んだことですね。

 PUマニュファクチャラーはF1のなかで“できること”が非常に制限されていますしね。スポンサー獲得はできないし、予算面の制限も大きい。分配金ももらえない。コンストラクターになれば、技術面の学びも大きいので。

 自動車業界は今後EV化に舵を切っていきますが、そうなると車体性能を含めた総合的な優劣が重要になってくる。今後、さらにホンダが飛躍していくためには、その観点が必要だと思います。量産車にせよ、レーシングカーにせよ、クルマで重要なのは全体のパッケージですよね。レッドブル・ホンダがタイトルを取れたのはまさにそこだったわけですし、今後の市販車開発でもそこは生きてくるはずです。ホンダがもしF1に戻ってくるのなら、ぜひそこを目指してほしいですね。

22年は「若手が活躍できるチャンス。その代表格が角田」

角田のF1デビューイヤーを近くで見守っていた山本 【Photo by Peter Fox/Getty Images】

──ホンダがいなくなったあとの、角田裕毅選手へのメッセージをお願いします。

山本 今年は技術規約が大きく変わりますが、そんな状況で角田は面白い走りを見せてくれると期待しています。最終戦後のアブダビテストでも、18インチタイヤをまったく違和感なく乗りこなしていた。マックスと同じように。

 今季は大きくクルマが変わって、若手が活躍できるチャンスだと思います。その代表格が、角田でしょうね。若手の頑張る年だと思っています。

──今年1月に行なわれた記者会見と、ちょうど1年前の記者会見を見比べたら、角田選手の成長が感じられました。自分のダメだった点も、素直に語っていました。

山本 ルーキーイヤーの角田は、開幕戦こそうまくやったけれども、そのあとずっと苦労した。夏休み明けに彼に言ったのは、「サーキットに行ったら、“点”じゃなく“線”でレースしろ」ということでした。木曜日から日曜日までの4日間を、どうやって線でつないでいくか。ステップを踏むにしても、踏み方がある。

 いまの角田の足の長さでは、階段を3段飛ばしで跳んでいくのはできない。それをやろうとするからクラッシュする。段階を踏んで、セッションごとのカリキュラムをこなして、そこから初めてチャレンジしろと。後半からは本人もそれが少しずつ分かってきていたようですね。そして最終戦ではボッタスを抜いて、表彰台まであとひと息のところまでいった。F2時代のように、レースを俯瞰して見られるようになっていました。その期待がひとつ。

 もうひとつは、車体が変わる、タイヤが18インチになる、グランプリコースもひと通り走ったということからくる期待もありますね。そうした手応えを自分でも感じることができているから、ポジティブな気持ちになっているんだと思います。だから「今年の角田は面白い」と僕は見ています。

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