連載:高校サッカー選手権 名将の哲学

黒田剛監督に聞く、青森山田の強さの理由 青森発、中高一貫の山田流とは?

栗原正夫
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選手権開幕を控えた忙しい時期にもかかわらず、長時間のインタビューに応じてくれた黒田剛監督 【栗原正夫】

 過去5年で高校サッカー選手権の決勝に4度進出し、優勝と準優勝が2度ずつ。今年も夏のインターハイに加え、高校生年代のJユース(Jリーグ下部組織)も参加する高円宮杯U-18プレミアリーグ・イースト(コロナ禍の影響で東西の日本一を決めるファイナルは行われず)で優勝するなど、現在の高校サッカー界をリードする青森山田(青森)。青森県代表として25年連続での出場を決めた、第100回大会の選手権(12月28日開幕)でも優勝候補の筆頭と評判だ。

 青森県は本州の最北に位置し、青森山田のある青森市は、冬の間は雪で覆われることも珍しくない豪雪地域である。そんな地理的なハンデもあってかつては弱小といわれた青森県の代表チームが、なぜ今これほど結果を出しているのか。

 1995年の監督就任以来、多くのJリーガーを輩出するなど、青森山田を「常勝軍団」と言われるまでに引き上げてきた黒田剛監督(51)にその理由を聞いた。

何が何でも勝ちたいという信念で日本一へ

第99回大会の決勝で選手に指示を出す黒田監督 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 94年に青森山田のコーチに就任すると、翌95年に25歳の若さで監督に就任した黒田監督。監督1年目に選手権出場を果たしたが、同年は1回戦敗退。翌96年は県大会決勝で敗れ選手権への出場を逃すも、97年以降は25年連続で出場するなど連続出場記録を更新している。

 ただ、今でこそ全国切っての強豪として知られるが、選手権初優勝までは22年の月日を要している。就任当時を思い出しながら、黒田監督は話し出した。

「今では専用の人口芝のグラウンドがありますが、当時はラグビー部と共用。土でボコボコのひどい状態でした。部員も18人しかおらず、私自身も若かったので指導者として手探りの状態からのスタートでした。ただ、何が何でも勝ちたいという信念と、人が好きで教えを乞うたり絡んでいくことが得意だったので、青森という地理的なハンデはありましたが、一歩一歩やってきた感じです」

 まずは全国大会に出ることが目標だった。青森という土地柄、当初から優れた選手が多くいたわけではない。だが、2000年度に初めて選手権でベスト4に入り、05年度に夏のインターハイで優勝するなど結果を出すことで少しずつ選手が集まるようになってきた。
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著者プロフィール

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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