なぜ阪神から“代打の神様”が生まれるのか 八木裕と桧山進次郎が語る代打職人の奥義
阪神タイガース「代打の神様」の伝統を受け継いできた八木裕氏(左)と桧山進次郎氏(右)。「なぜ阪神から“代打の神様”が生まれるのか」というテーマなどについて語り合ってもらった 【スリーライト】
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代打を重んじる甲子園のファン
阪神タイガース「代打の神様」の起源は遠井吾郎氏までさかのぼる。(1976年10月13日、甲子園。巨人の小林繁投手から同点2ランホームランを放つ代打・遠井吾郎氏) 【写真は共同】
桧山 確かにタイガースしか『代打の神様』って言わないですよね。
八木 遠井吾郎さんに始まり、川藤(幸三)さん、真弓(明信)さん、俺、桧山、関本(賢太郎)、狩野(恵輔)、原口(文仁)……。その代々の始まりがね、遠井さんにしても川藤さんにしても、いかにも関西の人が喜ぶような風貌かつ、立ち居振る舞いができる選手だった。ファンは「待ってました、川藤!!」って言えるじゃない。
桧山 言うてましたね。「春団治!!」って(笑)。
八木 そういうものがタイガースには、甲子園球場にはあるのよ。その流れを受け継いできているから、ファンもマスコミも、代打を重んじてくれる。期待し、大事にしてくれる。
桧山 甲子園球場で、ファンと共に作り上げてきたというところですかね。
八木 普段レギュラーとして試合に出ていなくても、その選手が出てきたら大きな拍手で迎えてくれる、温かいファンが甲子園には大勢いるわけですよ。そういう場所だから、『代打の神様』が生まれてきたんじゃないかと俺は思うんだけど、桧山はどう?
桧山 僕は先輩方が切り拓いてくださったところに、あとからポーンッと付いていった感じですから。「次は誰が(代打の神様に)なるんだ」という雰囲気が、すでにありました。だけど実際、遠井さんに始まって川藤さん、真弓さんの頃までは『代打の切り札』と呼ばれていた。『代打の神様』と言われ始めたのは、八木さんからですよね。
八木 うん、そやな。なんで『代打の神様』と呼ばれるようになったかというと……。
ここから2人の会話は、“神様の起源”に迫っていく。その意外なオチ(!?)は、スポナビ公式YouTubeに譲ろう。
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