なぜ阪神から“代打の神様”が生まれるのか 八木裕と桧山進次郎が語る代打職人の奥義
「神様」と呼ばれるプレッシャー
1998年に開幕からしばらく代打率5割以上をマークした八木裕。この頃から「代打の神様」と呼ばれるようになったと言われているが、はたして真相は? 【写真は共同】
八木 それは……桧山はどうだった? 嫌でしょ(笑)?
桧山 打っているときはもう、「どんどん言ってくれ」でしたけど、実際は打てないときのほうが多いじゃないですか。打てなかったときは、「俺もイチ人間やねんけど」と思っていました(笑)。
八木 まあ確かに最初、『神様』と言われ出したときはプレッシャーでしかなかったな。(代打に)行かなきゃいけない状況だもん。
桧山 でも僕の中では八木さん、メチャメチャ打ってましたよ。
八木 そんなことはないやろ(笑)。
桧山 いや、インパクトがありすぎるんですよね。八木さんが代打をしていらした頃、僕はレギュラーで出させてもらっていたんですけど、ピッチャーの打順とか、「ここで出番だな」と八木さんがベンチ裏で代打の準備をされているとき、僕らは自分たちの仕事じゃないので、ふざけ半分で「お願いします!」「お願いします!」って言ってましたね(笑)。
八木 そういや、言っていたな。5、6人で無責任に言ってたよな(笑)。
桧山 そこで八木さんがサッとベンチを出て、代打で結果を出す。そのとき、僕らの中に「おおっ、打ったよ!!」ではなくて、なんか「打って当たり前」という雰囲気があったんです。「あー、また打った八木さん。簡単に打つなあ」という感じだったんですけど、実際はどうだったんですか?
八木 まあ、そういうゾーンみたいなものもあるやん。調子がいいときは続けて打てるというゾーンがあるので、そういうときは放っておいても打てるよね。
<後編につづく>
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