【YouTube企画】八木裕×桧山進次郎「代打の神様」対談

なぜ阪神から“代打の神様”が生まれるのか 八木裕と桧山進次郎が語る代打職人の奥義

前田恵

「神様」と呼ばれるプレッシャー

1998年に開幕からしばらく代打率5割以上をマークした八木裕。この頃から「代打の神様」と呼ばれるようになったと言われているが、はたして真相は? 【写真は共同】

桧山 しかし今となっては、いい言葉ですよね。『代打の神様』って。そういうふうに言われ出して正直、八木さんはどう思われていたんですか?

八木 それは……桧山はどうだった? 嫌でしょ(笑)?

桧山 打っているときはもう、「どんどん言ってくれ」でしたけど、実際は打てないときのほうが多いじゃないですか。打てなかったときは、「俺もイチ人間やねんけど」と思っていました(笑)。

八木 まあ確かに最初、『神様』と言われ出したときはプレッシャーでしかなかったな。(代打に)行かなきゃいけない状況だもん。

桧山 でも僕の中では八木さん、メチャメチャ打ってましたよ。

八木 そんなことはないやろ(笑)。

桧山 いや、インパクトがありすぎるんですよね。八木さんが代打をしていらした頃、僕はレギュラーで出させてもらっていたんですけど、ピッチャーの打順とか、「ここで出番だな」と八木さんがベンチ裏で代打の準備をされているとき、僕らは自分たちの仕事じゃないので、ふざけ半分で「お願いします!」「お願いします!」って言ってましたね(笑)。

八木 そういや、言っていたな。5、6人で無責任に言ってたよな(笑)。

桧山 そこで八木さんがサッとベンチを出て、代打で結果を出す。そのとき、僕らの中に「おおっ、打ったよ!!」ではなくて、なんか「打って当たり前」という雰囲気があったんです。「あー、また打った八木さん。簡単に打つなあ」という感じだったんですけど、実際はどうだったんですか?

八木 まあ、そういうゾーンみたいなものもあるやん。調子がいいときは続けて打てるというゾーンがあるので、そういうときは放っておいても打てるよね。

<後編につづく>

(企画構成/株式会社スリーライト)

八木裕(やぎ・ひろし)

 1965年6月8日生まれ。岡山県出身。岡山東商業高校を卒業後、三菱自動車水島を経て、86年ドラフト3位で阪神タイガースに入団。掛布2世と呼ばれ、90年にキャリアハイの28本塁打を放ち、3年連続20本塁打以上を記録。93年以降は、代打としての適性の高さを遺憾なく発揮し、97年には代打率4割、98年には開幕からしばらく代打率5割以上をマーク。ここ一番の場面で登場する代打の切り札となり、「代打の神様」と呼ばれる存在になった。2004年に現役を引退。その後、野球解説者を経て、09年から15年まで阪神二軍打撃コーチを務め、12年は二軍の育成チーフコーチを兼務。現在は野球評論家としてメディアで幅広く活躍。

桧山進次郎(ひやま・しんじろう)

 1969年7月1日生まれ。京都府出身。平安高校、東洋大学を経て、91年ドラフト4位で阪神タイガースに入団。中軸打者として2003年、05年のリーグ優勝に貢献。現役生活の晩年は八木裕氏に次ぐ「代打の神様」として、多くの阪神ファンに愛された。代打通算158安打、14本塁打、111打点はいずれも球団記録(安打・打点はプロ野球歴代2位)。13年に現役を引退。現在は野球解説者・スポーツコメンテーターとして、ABCテレビ「おはよう朝日です」「キャスト」などに出演中。

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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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