東京五輪で“ランニングデート”再び!? 相澤晃×伊藤達彦スペシャル対談(後編)

酒井政人
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相澤(上)と伊藤の対談は7月上旬にオンライン上で実施。終始、和やかな雰囲気で仲の良さが伺えた 【スリーライト】

 2020年の箱根駅伝2区で歴史に残る激闘を繰り広げ、「世界で通用する選手を育てる」という箱根駅伝創設の理念を体現するかのごとく、そろって10000mで東京五輪代表を決めた相澤晃選手(旭化成)と伊藤達彦選手(ホンダ)。日本の陸上長距離界で今、最も注目を集める2人が、東京五輪にかける思いとその後の競技人生の展望を語り合った。

伊藤達彦の驚異的な回復力

──20年12月の日本選手権10000mでそろって日本記録を更新する快走を見せた、相澤選手(27分18秒75)と伊藤選手(27分25秒73)。相澤選手はこの時点で東京五輪代表内定を決めました。しかし、ここで溜まった疲労が大きく影響したのか、相澤選手は21年元旦の全日本実業団駅伝(ニューイヤー駅伝)を欠場。伊藤選手はレース中に両足大腿骨を疲労骨折しました。

相澤 旭化成はニューイヤー駅伝に向けた部内競走が熾烈(しれつ)で、メンバー入りを巡って選手がバチバチと火花を散らしています。そこに向けた練習はハイレベルで、さらに日本選手権の疲労が残っていたこともあって、僕はついていくだけで精いっぱい。それで故障してしまいました。

伊藤 僕も日本選手権の疲労があって、調子がなかなか上がってこなかった。レース本番になれば走ることができるかなと思っていたのですが、4区のラスト3kmで脚が痛くなってしまって……。でも、このタイミングで故障が発覚し、立ち直ることができたのは不幸中の幸いでした。そのままの状態で走り続けていたら、21年5月の日本選手権を迎える直前に故障していたかもしれないですから。

──相澤選手はどのようなプランで今夏の東京五輪に合わせようと考えていましたか?

相澤 故障が完治した時点で東京五輪まで半年近くあったので、焦る必要はなかったです。調子を取り戻すまで、約3〜4カ月はかかります。1〜3月はしっかりと基礎を固めて、ケガのリスクを回避できるトレーニングを重点的に行いました。そこからレースを重ね、本番にピークを持っていこうと考えました。

──東京五輪参加標準記録(27分28秒00)を突破していた伊藤選手は、21年5月3日の日本選手権10000mで「3位以内」に入ることが東京五輪代表内定の条件でした。

伊藤 故障がなかなか完治しなくて、何度もMRI検査を受けました。1〜2月は補強、プール、バイクなど、走らないメニューを中心に行い、3月上旬になってようやくジョグを始めることができました。ここから日本選手権まで2カ月しかありません。最初にポイント練習(※)をやったとき、意外と楽に走ることができたのは、自分でも驚きましたね。

※走力を向上させるために行う、強度が高い練習のこと。

──伊藤選手はポイント練習を3回ほどこなしただけで、4月10日の金栗記念選抜陸上中長距離大会5000mを13分45秒12で走りました。

相澤 伊藤選手の状態は聞いていましたが、回復力に驚かされました。僕には絶対に無理です。真似できません。
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著者プロフィール

1977年愛知県生まれ。東農大1年時に箱根駅伝10区に出場。陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』やビジネス媒体など様々なメディアで執筆中。『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)など著書多数。

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