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「箱根駅伝から東京五輪へ」驚異の飛躍
相澤晃×伊藤達彦スペシャル対談(前編)

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第96回(2020年)箱根駅伝、学生長距離界のエースが集う2区でデッドヒートを繰り広げ、箱根史にその名を刻んだ相澤晃(当時・東洋大)と伊藤達彦(当時・東京国際大)
第96回(2020年)箱根駅伝、学生長距離界のエースが集う2区でデッドヒートを繰り広げ、箱根史にその名を刻んだ相澤晃(当時・東洋大)と伊藤達彦(当時・東京国際大)【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 2020年の箱根駅伝2区で歴史に残る激闘を繰り広げ、「世界で通用する選手を育てる」という箱根駅伝創設の理念を体現するかのごとく、そろって10000mで東京五輪代表を決めた相澤晃選手(旭化成)と伊藤達彦選手(ホンダ)。日本の陸上長距離界で今、最も注目を集める2人が、学生時代から連綿と続くこれまでの戦いを振り返った。

学生時代から続くライバル物語

──東京五輪の開幕まであと2週間となりました。そろって男子10000mの日本代表に選出された2人は、第96回箱根駅伝2区と2020年12月の日本選手権10000mで多くのファンの記憶に残る名勝負を演じました。反響があったのはどちらのレースですか?


相澤 僕は日本選手権で優勝したときですね。箱根駅伝2区での走りを見て、僕らのことを知った方々が注目してくれたのかもしれません。僕の地元・福島県でも、箱根駅伝よりも東京五輪代表に内定したことの方が、大きなニュースになったみたいです。


伊藤 僕は箱根駅伝の方が多くの反響がありました。「箱根駅伝で相澤選手と一緒に走っていた人ですよね?」とよく言われますから(笑)。反対に、「日本選手権で相澤選手と一緒に走った人ですよね?」とは言われたことがないんです。箱根駅伝が多くのファンに愛されていることを実感します。


──2人は学生時代から強いライバル意識を持ってきました。そのきっかけとなったレースは何ですか?


相澤 はじめて伊藤選手のことを意識したのは、大学3年時(18年)の春に行われた関東私学六大学対抗戦です。5000mでラスト1周の競り合いに胸の差で負けて、「東京国際大にはこんなに速い選手がいるのか」と驚いたのが第一印象でした。以降、伊藤選手とは何度も競り合ってきたので、僕の中では箱根駅伝2区で戦う前からライバル意識を持っていました。


伊藤 相澤選手は学生長距離界のトップ選手で、かつての僕にとっては雲の上の存在でした。数々のレースをともに走り、負け続けてきたからこそ、相澤選手に勝ちたいという思いが日増しに強くなっていきました。

19年7月、“学生のためのオリンピック”とも称されるユニバーシアードのハーフマラソンで、相澤(中央)は金メダル、伊藤(右)は銅メダルを獲得した
19年7月、“学生のためのオリンピック”とも称されるユニバーシアードのハーフマラソンで、相澤(中央)は金メダル、伊藤(右)は銅メダルを獲得した【写真:アフロスポーツ】

──大学4年時(19年)の7月、イタリア・ナポリで開催されたユニバーシアードでは、ハーフマラソンで相澤選手が金メダル、伊藤選手が銅メダルを獲得しました。この大会を契機に2人は仲良くなったそうですが、どのような思い出がありますか?


相澤 ハーフマラソンは大会最終日だったこともあり、本番が近づくまでは伊藤選手、中村大聖選手(当時・駒澤大、現ヤクルト)と3人で食事をしたり、トランプやプールで遊んだりして、楽しく過ごしました。競技以外の時間が長かったので、仲良くなれたのかな。


伊藤 レース以外は修学旅行のような気分で、とても楽しかったですね。和やかな雰囲気でしたが、その中で見せた相澤選手の競技に対する姿勢は真摯で、見習うことが多かったです。“学生長距離界ナンバー1”の称号は伊達じゃなかったです。


──結果的に1年延期されましたが、ユニバーシアードに出場していた学生時代に、東京五輪の代表として選出されることをイメージできましたか?

酒井政人

1977年愛知県生まれ。東農大1年時に箱根駅伝10区に出場。陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』やビジネス媒体など様々なメディアで執筆中。『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)など著書多数。

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