「箱根駅伝から東京五輪へ」驚異の飛躍 相澤晃×伊藤達彦スペシャル対談(前編)
第96回(2020年)箱根駅伝、学生長距離界のエースが集う2区でデッドヒートを繰り広げ、箱根史にその名を刻んだ相澤晃(当時・東洋大)と伊藤達彦(当時・東京国際大) 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
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学生時代から続くライバル物語
相澤 僕は日本選手権で優勝したときですね。箱根駅伝2区での走りを見て、僕らのことを知った方々が注目してくれたのかもしれません。僕の地元・福島県でも、箱根駅伝よりも東京五輪代表に内定したことの方が、大きなニュースになったみたいです。
伊藤 僕は箱根駅伝の方が多くの反響がありました。「箱根駅伝で相澤選手と一緒に走っていた人ですよね?」とよく言われますから(笑)。反対に、「日本選手権で相澤選手と一緒に走った人ですよね?」とは言われたことがないんです。箱根駅伝が多くのファンに愛されていることを実感します。
──2人は学生時代から強いライバル意識を持ってきました。そのきっかけとなったレースは何ですか?
相澤 はじめて伊藤選手のことを意識したのは、大学3年時(18年)の春に行われた関東私学六大学対抗戦です。5000mでラスト1周の競り合いに胸の差で負けて、「東京国際大にはこんなに速い選手がいるのか」と驚いたのが第一印象でした。以降、伊藤選手とは何度も競り合ってきたので、僕の中では箱根駅伝2区で戦う前からライバル意識を持っていました。
伊藤 相澤選手は学生長距離界のトップ選手で、かつての僕にとっては雲の上の存在でした。数々のレースをともに走り、負け続けてきたからこそ、相澤選手に勝ちたいという思いが日増しに強くなっていきました。
19年7月、“学生のためのオリンピック”とも称されるユニバーシアードのハーフマラソンで、相澤(中央)は金メダル、伊藤(右)は銅メダルを獲得した 【写真:アフロスポーツ】
相澤 ハーフマラソンは大会最終日だったこともあり、本番が近づくまでは伊藤選手、中村大聖選手(当時・駒澤大、現ヤクルト)と3人で食事をしたり、トランプやプールで遊んだりして、楽しく過ごしました。競技以外の時間が長かったので、仲良くなれたのかな。
伊藤 レース以外は修学旅行のような気分で、とても楽しかったですね。和やかな雰囲気でしたが、その中で見せた相澤選手の競技に対する姿勢は真摯で、見習うことが多かったです。“学生長距離界ナンバー1”の称号は伊達じゃなかったです。
──結果的に1年延期されましたが、ユニバーシアードに出場していた学生時代に、東京五輪の代表として選出されることをイメージできましたか?
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