千葉ロッテや高校野球の名応援歌を制作 作曲家・ジントシオが語る応援哲学とは?
ジントシオさんが6年間応援団長を務め、圧倒的な声量と統制のとれたパフォーマンスで知られる千葉ロッテの応援。コロナ禍収束後、球場でその迫力を体感してほしい。 【写真は共同】
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野球少年が伝説の応援団長になるまで
小学生の頃、少年野球で投手だったこともあって、野球はもともと好きでした。応援に興味を持ったのは、自宅から近い西武ライオンズ球場に試合を見に行ったときのことです。みんなで同じ場所に集まって、同じ時間を共有して喜びを分かち合う応援のすばらしさを知り、すっかりとりこになってしまいました。
それからというもの、当時習っていたピアノのレッスンを止めて独学でコードを学び、メロディを作ることに興味を持ち、既存の応援歌にアレンジを加えて楽しむようになりました。また、球場で見た応援団がトランペットを吹く姿に惹かれ、僕も吹いてみたいと思うようになって、独学で覚えました。
そして、大勢のライオンズファンがいたライト側スタンドよりも、観客が少ないレフト側スタンドの方が気に入ったこともあって、1993年、私が13歳のときに日本ハムの応援団に入団しました。外国人打者や球史に残る大打者など、私が作った応援歌がいくつか採用されたのですが、本当に嬉しかったことを覚えています。
――ジンさんといえば千葉ロッテのイメージが強いですが、応援団員としてのスタートは日本ハムだったんですね。千葉ロッテの応援団に入団したのはいつですか?
高校入学後です。応援団同士、横のつながりがある中で、「日本ハムで応援歌を作っている若者がいるらしい」と、私のことを気にかけてくれた方が「千葉ロッテでも応援歌を作ってくれないか?」と声をかけてくれました。
当時はJリーグがブームだったので、サッカーの要素を取り入れたプロ野球の応援ができないかと相談されました。そこで、サッカー日本代表やJリーグの試合を観戦して、サッカーの応援を参考にしながら新しい応援歌を作りました。応援歌はひとりで作り上げるというより、いろんな人とアイデアを出し合いながら、共同で制作することの方が多いです。
――サッカーの応援では、どういうところが参考になりましたか?
試合の展開を見ながら、臨機応変に応援を変えていくところですね。私が応援団に入団した90年代前半のプロ野球の応援スタイルといえば、選手別に用意された応援歌をひたすら歌うことが主流でした。そこにもっとアクセントを付けられないかと思い、当時他球団で流行りはじめていたチャンステーマにサッカーのアイデアを取り入れたり、応援の間を作ったりといろいろ試行錯誤しました。
「歌ったり、ジャンプしたりしながら応援するのは野球らしくない」という声も当初は聞かれましたが、新しいことをはじめるときに反対意見が出るのは当然のこと。千葉ロッテのファンの皆さんが楽しみながら応援しているうちに、「いいね」という声が増えてきました。
臨機応変な応援というと、韓国のプロ野球(KBO)はおもしろいですよ。
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