連載:プロ野球日本シリーズ 熱戦の系譜

「2000年のON対決を“最後の奉公”に」 巨人のエース・斎藤雅樹の日本シリーズ

前田恵
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プロ野球新記録の11連続完投勝利に平成最初の20勝など、90年代の巨人を支えた絶対的エース・斎藤雅樹 【写真は共同】

 1989年、90年と2年連続で20勝をマーク。90年代の巨人を支えた絶対的エース・斎藤雅樹に、自身が出場した5度の日本シリーズを振り返ってもらった。2000年の“ON対決”への思いは必読だ。

原さんの満塁ホームランに心打たれる

――斎藤さんは巨人で5度の日本シリーズ(1989年、90年、94年、96年、2000年)を経験していますが、最も思い出に残る日本シリーズはいつですか?

 順番を付けるのは難しいですが、僕が初めて出場した1989年のシリーズは、やはり印象に残っていますね。近鉄に3連敗した後に4連勝して、日本一になった年です。元気な状態だったんですが、初戦で負けてしまい(6.2回、被安打7、自責点4)、5戦目で勝つことができました(9回、被安打4、自責点1)。とても緊張したのを覚えています。いきなりホームランを打たれましたからね。

――1回裏、先頭打者の大石大二郎さんに打たれたレフトオーバーのホームランですね。

 その後もバント処理をミスするなど、とにかく緊張していた記憶があります。シーズン中はほとんどの試合で完投(30登板中21完投)したんですが、日本シリーズは疲労がシーズン中の2〜3倍は早く来るなと、1試合目に投げた後に感じました。

――それでも5戦目は斎藤さんの代名詞とも言える“完投”勝利。初戦にホームランを打たれた大石さんも、5打数無安打と完璧に抑えました。

 ようやく日本シリーズで初勝利を挙げることができて、「あぁ、よかったな」とホッとしました。ただ、この試合のハイライトは僕の完投より、7回に原(辰徳=現監督)さんが打った満塁ホームランでしょう。感動しました。僕は三塁ランナーだったんですが、原さんをホームに迎えてタッチしたときの表情が、いつものさわやかな笑顔ではなく、「やっと打てた」と胸をなでおろしているような感じがして。チームが3連敗して、原さんも打順を4番から落とされてしまい、責任を感じていたんだと思います。
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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