連載:プロ野球日本シリーズ 熱戦の系譜

日本シリーズMVP・駒田徳広の流儀 「短期決戦は楽観的なチームほど強い」

前田恵
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通算満塁本塁打で歴代5位。“満塁男”と呼ばれた駒田徳広は、日本シリーズでも印象的な活躍を見せた 【撮影:白石永(スリーライト)】

 日本シリーズに5度出場。1989年に巨人で、98年に横浜で日本一を経験した駒田徳広は、短期決戦に滅法強い“シリーズ男”としても知られている。そんな駒田の印象に残っている日本シリーズと、短期決戦の挑み方を聞いた。

“ラッキーボーイ”の自覚はあった

――駒田さんは日本シリーズに巨人で4回(1983年、87年、89年、90年)、横浜で1回(98年)出場しています。どのシリーズがいちばん印象に残っていますか?

 近鉄と対戦して日本一になった1989年です。僕が活躍(日本シリーズMVP)できたこともあって、印象に残っています。そう言わないと野球の神様が怒っちゃうでしょ(笑)。

――1989年はまさかの3連敗で、近鉄に王手をかけられました。

 伝統ある巨人軍には「勝たなければならない」というプレッシャーがあります。開幕戦や日本シリーズの初戦で感じるそれはかなりのもので、他球団とは違うところです。このシリーズでは、初戦に斎藤(雅樹)で負けてしまい、浮足立ってしまいました。打線の流れが悪かったことも、一因だったと思います。

――駒田さんは初戦の第1打席、近鉄のエース・阿波野秀幸さんからセンター前ヒット。チームは連敗スタートでしたが、駒田さんは毎試合ヒットを打つなど、好調でした。

 僕は左打者ですが、左投手を結構打っているんです。左投手の持ち球は真っ直ぐ、スライダー、カーブであることが多いので、対応するのは苦ではない。阿波野もオーソドックスな左の好投手、という印象でした。

――試合を追うごとに打順は8番、6番、5番と上がっていきました。「これは俺がやらなければ」という思いになりましたか?
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著者プロフィール

1963年、兵庫県神戸市生まれ。上智大学在学中の85、86年、川崎球場でグラウンドガールを務める。卒業後、ベースボール・マガジン社で野球誌編集記者。91年シーズン限りで退社し、フリーライターに。野球、サッカーなど各種スポーツのほか、旅行、教育、犬関係も執筆。著書に『母たちのプロ野球』(中央公論新社)、『野球酒場』(ベースボール・マガジン社)ほか。編集協力に野村克也著『野村克也からの手紙』(ベースボール・マガジン社)ほか。豪州プロ野球リーグABLの取材歴は20年を超え、昨季よりABL公認でABL Japan公式サイト(http://abl-japan.com)を運営中。

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