ドルトムントはバイエルンに匹敵する? クラブ存続の危機を経た“ナンバー2”の実情
ドイツ屈指の人気クラブ、ドルトムント 【Getty Images】
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瀕死(ひんし)に陥ったクラブ
ドルトムントの歴史では数々の重要な出来事があった。中でも特に重要だったのが、あるアウェーでの“試合”だった。それはスタジアムではなく、デュッセルドルフ空港内の貨物倉で行われた集会のことだ。
05年3月14日、ドルトムントはクラブが消滅寸前にあった。選手への給料は払えなくなり、さらなる借金もできなくなっていたのだ。その影響でクラブは、経営破綻とその懲罰として4部リーグへの降格を宣告されそうになっていた。1997年にドイツのクラブとして初めてチャンピオンズリーグ(CL)を制覇したドルトムントは瀕死状態だったのだ。そんなクラブに最後に残されたチャンスは、投資家たちが配当を委棄することだった。
デュッセルドルフ空港での集会に招待されたのはドルトムントからホームスタジアムを買い上げた投資家たちだった。クラブ首脳陣はそこで、投資家たちに対して契約で約束された配当を委棄してもらえるよう働きかけた。サッカーに興味のない投資家たちがこれに合意してくれれば、クラブの将来は拓ける。しかし、投資家たちが首を縦に振ってくれなければ、ドルトムントの歴史はここで終焉となる。現在もドルトムントの会長を務めるラインハルト・ラウバルが当時を思い起こす。
「それは国民を代表して私が判決を出すようなものだ。終身刑、または無罪のどちらかを。あんな日はもう二度と経験したくない」
ラウバルとドルトムントは運が良かった。結局、その集会では95パーセントの投資家たちが当面の配当委棄に合意してくれたのだ。そして、ここからドルトムントのクラブ再建が始まった。
ドルトムントのことを理解したいならば、この05年の出来事を知らなくてはならない。なぜならば、奈落の底を見てしまった当時のことが、現在のクラブの経営方針にも影響しているからである。ラウバル会長と最高経営責任者(CEO)のハンス・ヨアヒム・ヴァツケは投資家たちに「二度と借金はしない」と約束し、実際に今日まで、その誓いは破られていない。当時のドルトムントはバイエルンを出し抜こうとして高い代価を払っただけでなく、命を落とす寸前にまで立たされたのだから。
CL王者がたどった苦難
1996-1997シーズンはユベントスを下してCLを制した 【Getty Images】
一方、ドルトムントに出し抜かれて屈辱を味わったバイエルンはザマーやロイターといった選手たちの引き抜きを試みた。彼らは94-95シーズン、そして95-96シーズンでブンデスリーガを連覇していたドルトムントが国内で新たにナンバーワンの座に就くのが許せなかったのだ。
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