連載:新庄剛志「もう一度、プロ野球選手になる。」

新庄剛志が教える、外野守備のポイント 大切なのは「3人の距離感」

新庄剛志
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第5回 新庄野球塾1――外野守備編

日本ハム時代、鉄壁な守備を誇った新庄さん(中央)、稲葉さん(左)、森本さん(右)の3人 【写真は共同】

 外野を守るうえでぼくがいちばん大切にしてきたもの、それは3人の距離感だ。
 外野手はわずか3人で、あの広いエリアを守らなきゃいけない。そのときに大事になるのが「距離」なんだ。

 日本一に輝いた、2006年の日本ハムを例に説明しよう。
 あのときの外野は、レフト森本稀哲、センター新庄剛志、ライト稲葉篤紀というラインナップ。扇の要を守るぼくは、ふたりにいつも「互いの距離を意識しよう」と言い続けた。具体的にはこういうことだ。

 例えば左中間は、ぼくとヒチョリの担当エリア。このふたりが近すぎると、左中間でふたりの守備範囲が重なってしまう。それならもう少し離れたほうがいい。そうすることでヒチョリはライン際をカバーすることができる。これはもちろんあっちゃんとの右中間も同じだ。

 ただ、ぼくとヒチョリの距離とぼくとあっちゃんの距離は同じではない。それぞれの守備範囲が違うからだ。若くて走力があるヒチョリは守備範囲が広かったから、ぼくらはある程度、距離を開けてポジショニングしていた。
 外野の守備は、3人の距離をつねに保つことが基本。
 そのうえで、ピッチャーやバッターの調子や傾向、さらにはアウトカウント、ボールカウント、ランナーの有無、ランナーの走力といった、数限りない条件を考えながら、一球一球ポジショニングや意識を微妙に、あるときは大胆に変えていく。

 これが外野守備の醍醐味だ。

 ただ、3人の距離をいつも保つというのがじつはなかなか難しい。
 プロ野球のシーズンは半年と長く、それぞれに好不調の波が出てくるからだ。
 ぼくは、この作業が苦にならないけど、左右の相棒が集中していないときがある。
 ヒチョリが一軍に定着して、レフトを守りはじめたときがそうだった。
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著者プロフィール

1972年生まれ。福岡県出身。1990年、阪神タイガース入団。1999年の巨人戦で敬遠球を打ったことは大きな話題となる。2001年、米大リーグ球団メッツに移籍し、日本人選手で初めて投手以外の野手として登録。2002年に移籍したジャイアンツでは、日本人選手で初めてのワールドシリーズ出場を果たす。2004年、日本球界に復帰し、北海道日本ハムファイターズに入団。試合前のパフォーマンスが「新庄劇場」と呼ばれ、北海道に移転直後の日本ハム人気を盛り上げる。2006年、シリーズ開幕直後に引退宣言。日本ハムを日本シリーズ優勝に導いた。2019年11月、プロ野球選手として現役復帰を目指すことを宣言する。著書に『わいたこら。』(学研プラス)など。

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