連載:新庄剛志「もう一度、プロ野球選手になる。」

新庄流、ダルビッシュ有をプロデュース 才能を埋もれさせないために

新庄剛志
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第4回

新庄さんが「思い出深い後輩」と話したダルビッシュ(写真右)。問題児のイメージがつき、チームに馴染めずにいたダルビッシュに新庄さんが送った言葉とは? 【写真は共同】

 ヒチョリ(森本稀哲)と並んで思い出深い後輩がいる。ぼくが有ちゃんと呼んでかわいがったダルビッシュ有だ。

 日本ハム2年目のシーズン、彼はドラフト1位の高卒ルーキーとしてチームに加わった。
 ヒチョリがそうだったように、有ちゃんも独特の雰囲気を漂わせていた。
 ちょっとした身のこなしに、運動能力の高さが感じられる。ルックスも含めてスター性もある。
 ヒチョリとの共通点は、もうひとつある。チームにうまくなじめていなかったところだ。
 それは入団直後のいきさつがある。
 未成年だった有ちゃんは春季キャンプ中、パチンコ店で喫煙していたところを写真週刊誌に撮られ、謹慎処分を受けた。問題児のイメージがついた彼は、コーチ陣からにらまれ、チームメイトから敬遠されていたのだ。

 これだけの能力を秘めた若者が、たった一度のスキャンダルでつぶされるのは気の毒だ。そしてもったいない、とぼくは思った。
 ぼくは残り少ないキャリアの中で、どうしても日本一になりたかった。それには有ちゃんの力が欠かせないのだ。

 あるときぼくは、グラウンドの片隅でコーチに小言を言われる有ちゃんを見た。
 どうやら、タバコのことで疑われているらしい。
 練習の合間に、トイレに行こうとしたところを呼び止められたようで、

「おまえ、またタバコやろ」

「いえ……」

 そんなやりとりが耳に入った。

 さすがにもう吸ってないだろうなと思ったけど、その日、ぼくは有ちゃんを呼び止めて、ちょっとしたアドバイスをした。
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著者プロフィール

1972年生まれ。福岡県出身。1990年、阪神タイガース入団。1999年の巨人戦で敬遠球を打ったことは大きな話題となる。2001年、米大リーグ球団メッツに移籍し、日本人選手で初めて投手以外の野手として登録。2002年に移籍したジャイアンツでは、日本人選手で初めてのワールドシリーズ出場を果たす。2004年、日本球界に復帰し、北海道日本ハムファイターズに入団。試合前のパフォーマンスが「新庄劇場」と呼ばれ、北海道に移転直後の日本ハム人気を盛り上げる。2006年、シリーズ開幕直後に引退宣言。日本ハムを日本シリーズ優勝に導いた。2019年11月、プロ野球選手として現役復帰を目指すことを宣言する。著書に『わいたこら。』(学研プラス)など。

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