連載:新庄剛志「もう一度、プロ野球選手になる。」

新庄剛志、初めてのマイナー暮らし 過酷な環境に、ぼくが感じたこと

新庄剛志
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第3回

メジャー3年目、3Aでプレーした新庄さん。過酷なマイナー生活を体験し、思うことがあったという 【写真は共同】

 メッツからジャイアンツへ、そしてまたメッツへと復帰したメジャー3年目、ぼくは初めてマイナー暮らしを経験した。

 メッツでの1年目にもマイナーで試合に出たことはあるけど、それはあくまでも調整のため。今度は成績不振でマイナーに送られたのだ。プレーすることになったのは、メジャーの下の3A。日本にやってくる助っ人外国人の多くがプレーしているところだ。
 メジャーに慣れたぼくにとって、マイナーは笑っちゃうくらい大変な世界だった。
 なにがって、移動のバス!
 ポンコツのマイクロバスに大男たちがギッチギチに詰め込まれて、気をつけの姿勢で固まって座るわけ。しかもね、ひざの上に大きな荷物を抱えなきゃいけないんだ。そんな窮屈な格好で、ひどいときは10時間を超える長旅を強いられる。
 ぼくにはその経験が逆に新鮮で、最初はおもしろがってやっていた。でもね、すぐにつらくなってきた。だって、バスにはトイレもついてないんだよ。

 ちなみに次の試合の先発投手は、座席じゃなくてバスの床に横たわる。
「ひどい!」って思うでしょ? でも床で眠るのは、ものすごく恵まれているんだ。だって、足を伸ばせるからね。その姿を、ぼくたち野手は「いいなあ……」と眺めているわけ。ほとんどコメディだよね。

 そうそう、バスは渋滞に巻き込まれることもあって、プレーボール直前に球場に着くこともある。そんなときは、ウォーミングアップなしでプレーしなきゃいけない。
 なにからなにまで大変なバス移動、あれはベースボールというより“ガマン大会”だよ。

 マイナーの過酷さは移動だけじゃない。
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著者プロフィール

1972年生まれ。福岡県出身。1990年、阪神タイガース入団。1999年の巨人戦で敬遠球を打ったことは大きな話題となる。2001年、米大リーグ球団メッツに移籍し、日本人選手で初めて投手以外の野手として登録。2002年に移籍したジャイアンツでは、日本人選手で初めてのワールドシリーズ出場を果たす。2004年、日本球界に復帰し、北海道日本ハムファイターズに入団。試合前のパフォーマンスが「新庄劇場」と呼ばれ、北海道に移転直後の日本ハム人気を盛り上げる。2006年、シリーズ開幕直後に引退宣言。日本ハムを日本シリーズ優勝に導いた。2019年11月、プロ野球選手として現役復帰を目指すことを宣言する。著書に『わいたこら。』(学研プラス)など。

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