石橋貴明と振り返る、80〜90年代の名勝負 「松坂大輔は熱闘甲子園を意識していた!」
帝京高校野球部出身の石橋貴明。バットを振りぬく姿が実に板に付く 【水上俊介】
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主役の交代にしびれた1980年代前半
ここからの流れが大好きなんですよ。名勝負が多すぎて「この1試合」と決めることはできないんですけど、1980年から早稲田実、横浜、報徳学園、池田、PL学園と続く流れが、本当におもしろくて。
――主役の座がどんどん変わっていきましたね。
荒木大輔が1年夏に決勝まで勝ち進み、横浜の愛甲(猛)に敗れる。翌夏、早稲田実は3回戦で、金村(義明)の報徳学園に逆転サヨナラ負け。そして、3年夏は準々決勝まで行くも、池田の強力打線に打ち込まれて完敗。このときの水野(雄仁)と江上(光治)のバッティングは衝撃的でした。特に、水野が荒木から甲子園のバックスクリーン横にたたきこんだホームランは、「何だよ、これ。すごいな……」と。
池田といえば、74年春に部員11名で準優勝したときの“さわやかイレブン”のイメージが強かったんですけど、もう全然違う。とんでもない腕っぷしで、金属バットをぶんぶん振り回してくる。ボールをとらえたときの音が違いました。
――池田は82年夏、83年春を制して、史上4校目の“夏春連覇”を達成します。
あまり知られていませんが、センバツの初戦の相手が僕の母校・帝京でした。西の横綱対東の横綱で、初戦屈指の好カード。ところが、初回からボコボコに打たれて、終わってみれば0対11。たしか1回裏の帝京の攻撃は、水野に三者三振だったんじゃないかな。もう相手にならない。その年の夏は、池田の“夏春夏”の3連覇がかかり、準決勝へ。ここで立ちはだかったのが、KK(清原和博・桑田真澄)がまだ1年生だったPL学園です。誰もが池田有利と思う中で、桑田が池田打線を完封して、さらに自らレフトスタンドにホームランまで打つんです。
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