黒田博樹にも微笑んだ「野球の神様」 MLB最終試合の“伝説”を振り返る

構成:スポーツナビ

自身のMLB最終登板でもあったデレク・ジーターの「ラストダンス・イン・ニューヨーク」について、黒田が語った 【Getty Images】

 2014年9月25日(現地時間)のヤンキース対オリオールズ戦。名門ニューヨーク・ヤンキースのシンボルであったデレク・ジーターの「ラストダンス・イン・ニューヨーク」の先発マウンドに上ったのが、背番号18を背負った日本人投手、黒田博樹だった。劇的なサヨナラ打で幕を閉じた伝説の試合の「復刻配信」にて、黒田氏がMLBジャーナリストのAKI猪瀬氏に語った“金言”トークを抜粋、編集して掲載する。

「アイム、デレク・ジーター」

AKI猪瀬(以下AKI、敬称略) このシーズン限りでの現役引退を表明していたヤンキースの主将、デレク・ジーターが本拠地ヤンキースタジアムでプレーした最後の試合。この大きな意味を持つ試合に先発したのが、黒田さんでした。今振り返っても、球場の雰囲気はものすごいものがありましたね?

黒田博樹(以下黒田、敬称略) そうですね。現役時代にたくさんのゲームに投げてきましたけど、その中でも本当にしびれるゲームだったという思い出がありますね。

AKI このジーターのニューヨークでの「ラストダンス」ですが、黒田さんにとっても結果的にMLB最後のマウンドになりました。試合前の雰囲気などはどうだったのでしょうか?

黒田 僕が記憶しているのは、前日から大雨だったということです。警報が出るくらいの雨で、朝起きた時に「ちょっと今日は試合できないだろうな」と。球場に向かっている最中も大雨で「今日は無理だな」と思った。それで一応、試合前のルーティンをこなしていたら、まさかのオンタイムでゲーム開始。ブルペンの前で軽いキャッチボールしていたらヤンキースタジアムの上に虹が架かって、なんかもう「本当にジーターのためにあるゲームなんだな」と感じたことを覚えていますね。

AKI 実際の試合自体も「もし野球の神様がいるんだったらこういうゲームになるんだろうな」という、ジーターのための1日でした。

黒田 結果的にはそうなりましたね。でもやっている時はそんな余裕もなかった。初回に2者連続ホームランを打たれて、球場が異様な雰囲気になって大ブーイング。それが相手バッターに対するブーイングなのか、僕に対してブーイングかはよく分からなかったんですが、とにかく異様な雰囲気だったというのは覚えています。やっぱり勝ってジーターを送り出したいという気持ちが、みんなにありましたね。

AKI 黒田さんは2008年から11年まで、ドジャースでプレーした後、2012年から14年までジーターとともにピンストライプを着てレギュラーシーズンを戦いました。ジーターに対しては、どのような印象を持っていましたか?

黒田 ドジャース時代に一度、インターリーグで対戦もしましたけど、実際に会って話をしたというのは僕がヤンキースに入ってからです。(初対面は)タンパでのキャンプの時でした。野手組は遅れてキャンプインするんですが、そこで挨拶をしましたね。確かトレーナー室で会って「黒田です」と挨拶したんですけど、ジーターも「アイム、デレク・ジーター」って自己紹介して……。「いやいや、分かってるよ!」って思ったんですけど(笑)、それぐらい「すごく紳士だな」という印象は最初から受けましたね。

AKI チームメートになって、だからみんなが彼をキャプテンにするんだ、みんながリスペクトするんだなということを感じるようになった?

黒田 そうですね。言葉で引っ張っていくキャプテンというよりも、姿とか背中とかで引っ張っていく。あまりチームメートに厳しいことを言ったりするタイプではなかったですが、ミーティングでもひと言ひと言が重いという感じでしたね。

MLBでの「進化」と感じた「重み」

名門ヤンキースのユニホームは「やっぱり重みがあった」と話す黒田。しかし、この経験が後に生きたという 【Getty Images】

AKI 黒田さんにとってMLB最終年の2014年シーズン全体を振り返ると、どういったシーズンでしたか?(32試合登板で11勝9敗、防御率3.71、5年連続の2ケタ勝利達成)

黒田 年齢的に39歳となったシーズンで、体のコンディションを維持していくのがやっぱり難しかった。僕の場合は30歳を過ぎてからアメリカに行ったので、毎年毎年、体がどういう反応をするのかも分からないですし、その中で中4日という新しいものにチャレンジして、毎年、怖さというものはありましたね。

AKI 黒田さんは、中4日もそうですが、いろんなことに対して変化をいとわずNPB時代とMLB時代でまったく違うピッチャーなんじゃないかと思うくらい、MLBにアジャストしていく姿を感じた。やはりMLBというのは、そういう世界ですか?

黒田 まずは野球人として生き抜いていくためにどうするかを考えたうえで、「自分が変化していかないと生きていけない」ということを感じていましたし、やっぱり(MLBに)行った以上は結果を残したい。そこでどうするかって考えた時に、それが動くボールだった。自分を客観的に見ながら、進化していけたんじゃないかなと思っていますね。

AKI ヤンキースというのは、やっぱり勝たなければいけない歴史を背負った球団ですが、ヤンキースタジアムやニューヨークという街、そしてピンストライプを着てマウンドに立つというのは、野球人として至上の喜びなのか、それとも大変なのか。ピンストライプの重みというのはどう感じていましたか?

黒田 僕は極力、考えないようにはしていましたね。考えるとやっぱり怖くなってくる。でも考えないようにと思っていても、周りの雰囲気とか、ファンの反応とか、翌日の新聞とか、そういうので反応というものはすごくありましたし、やっぱり重みというのはあった。でも今から考えると、そういうところでプレーできて良かったと思いますね。

AKI ニューヨークメディアのお家芸と言われている“手のひら返し”があります。活躍すれば大統領のように持ち上げて、ダメならすぐに叩く。そういうものはいちいち気にしていられない?

黒田 そうですね。僕がニューヨークで借りていた家が、ネット上に出ていましたから。僕の顔付きで、どこどこの何階に住んで、どういう間取りで、家賃もどうのこうのと……。そういうのも全部出てしまう。球団の人に相談したことはあったんですけど、「ヤンキースの選手にはプライベートはない」と言われて終わってしまったので、「まあ、そういうものかな」と思いましたね。

AKI 昔、野茂英雄さんがロードに行った時も、ホテルの部屋のベルが鳴って出てみたら、一般のファンの方が「ヒデオ、昨日のピッチングはひどい!」って文句言われたそうですからね。

黒田 それでメジャーでは、みんな偽名を使ってホテルに泊まるんですよ。僕は、日本人の歴史上の人物の名前を使ってよく泊まっていました。だからルームサービスとかを頼むと、すごい人物の名前で呼ばれるので、すごく偉くなった気分になりましたね(笑)。

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