競歩・岡田久美子が乗り越えた苦悩の時期 若きライバルと共に目指す五輪のメダル

折山淑美

日本女子競歩界の第一人者に成長した岡田久美子。決して平坦ではなかったこれまでの歩みを振り返る 【写真:森田直樹/アフロスポーツ】

 昨年9月にカタール・ドーハで行われた世界選手権女子20キロ競歩では、岡田久美子(ビックカメラ)が同種目で日本勢過去最高の6位となり、7位の藤井菜々子(エディオン)とともに日本女子競歩初のダブル入賞を果たした。今年2月の日本選手権では雨が降る厳しい条件ながら、日本陸連が定めた派遣設定記録1時間30分0秒を突破する1時間29分56秒で6連覇を果たした。高校時代から将来を渇望され、途中足踏みをしながらも日本女子競歩界の第一人者に成長した、これまでの歩みを振り返る。

期待がたった1人にのしかかる重圧

 岡田は高校2年の2008年世界ジュニア選手権では1万メートル競歩で日本ジュニア歴代2位の記録をマークして8位になり、大学1年の10年世界ジュニアでは銅メダルを獲得(のちに2位に繰り上がり)して期待された選手だが、その後の進化には足踏みをした。

 日本女子競歩をレベルアップさせてきた川崎真由美が13年に引退すると、同年9月の全日本実業団選手権をもって、ロンドン五輪代表の大利久美も引退を発表。また09年世界選手権7位入賞の渕瀬真寿美も思うように成績が伸びず、期待は岡田1人にのしかかった。

「15年の日本選手権では初めて勝って、いきなり世界選手権の代表にも選ばれましたが、女子は私1人きりだったので、そこからどのようにして世界との差を縮めていけばいいのかという不安がありました。その頃は男子の鈴木雄介選手が世界記録を出したりして、焦るというか、悩んだ時期でした」

 当時は1時間30分を突破する1時間29分46秒を出していたが、全日本合宿に行っても複数の選手で競い合っていた時期とは違い、強い女子選手はいないため目標や参考にする存在はいなかった。そんな中で、男子選手の動きを見て真似したり、彼らの練習についていったり、試行錯誤を繰り返していた。「少しは力になったと思うが、男子の真似ばかりでは自分の弱点を強化するというところではうまくハマらず、足踏みをしてしまった」と振り返る。

 体づくりがうまくいかず、体重もなかなか落ちなかったこともその要因だった。

「高校時代はかなり自己管理をしていましたが、その反動で生理が再開したのが大学1年の終わりのころ。そこから一気に女性の体つきになっていったけど、海外の強い選手と比べるとそこのスタートが遅れたのだと思います。一生懸命に骨を強くしようとか、筋肉の質をあげようとか努力しましたが、トレーニングの仕方もまだ分かっていなくて、自己流でした。少しずつ進歩している実感はあっても、周りから見れば変わっていなかったと思います」

 順位としては徐々に進化を見せていた。初出場だった15年世界選手権は25位だが、リオデジャネイロ五輪は16位。だが記録は16年と17年に出した1時間29分40秒止まりで、当時の日本記録の1時間28分03秒との差をなかなか縮めることができなかった。

転機となったのは世界選手権での“惨敗”

17年世界選手権での「敗戦」が、岡田にとって大きな転機となった 【スポーツナビ】

 そんな岡田が苦悩から脱出するきっかけになったのが、17年の世界選手権だった。リオデジャネイロ五輪よりいい結果をという思いで臨んだ大会で、自分が思っていた歩きができずに18位と順位を落とした。50キロで2位、3位、5位という結果を出した男子と比べれば、明らかに惨敗と思える結果。それをうまく受け入れられず自分を責めるようになり、精神的に疲労してしまった。体調を崩して入院、通院もして競技から遠ざかった時期もあり、翌18年の日本選手権では4連覇を達成したが、記録は初優勝の時より遅い1時間32分22秒に落ち込んだ。

「あの時は私1人だったら、そこで競技がストップしていた可能性もあります。でも、心配していろんな方が声をかけてくれた。そこからアプローチを変えようと覚悟を決めたことが、ターニングポイントになりました。そこで東京五輪へ向けた暑さ対策というよりも、まずはフィジカルの向上を目指しました。それまでは歩く練習しかしていないくらいで、体のケアについてあまり気にしていなかったのですが、骨格とか筋肉に詳しいトレーナーさんについてもらうことで、不安なく自信を持って練習に取り組めるようになりました。それで体も変わり、フォームも圧倒的に変わりました。筋肉の質も良くなったことで体脂肪も自然に落ちましたし、オフに入ると筋肉が少し落ちて逆に体重が減るくらいで、今は積極的に食べることを大事にしなければいけないほどです。食事制限がないとノンストレスだし、たくさん食べることでやる気もみなぎってくる。それが大きな変化です」

 一度どん底まで落ち込んだことで、競技へのアプローチを大きく変えることができた。体重が絞れて動きにも力強さが出てきたことで、足を振り出すスピードも上がってフォームも安定した。その成果が一気に出たのが昨年だった。2月の日本選手権では1時間28分26秒と自己ベストを大幅に更新すると、6月の競歩グランプリ・ラコルーニャ大会では1時間27分41秒の日本記録を樹立した。

「あれは予想以上でしたね。5月の東日本実業団選手権の5千メートルで日本新を出しましたが、そのうれしさのままスペインに乗り込んで……。そこで日本新が出るとは思っていなかったですが、後半はすごく乗ってきてペースアップできたから『これは行けるな』と思って。それもまたうれしいゴールでした」

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著者プロフィール

1953年1月26日長野県生まれ。神奈川大学工学部卒業後、『週刊プレイボーイ』『月刊プレイボーイ』『Number』『Sportiva』ほかで活躍中の「アマチュアスポーツ」専門ライター。著書『誰よりも遠くへ―原田雅彦と男達の熱き闘い―』(集英社)『高橋尚子 金メダルへの絆』(構成/日本文芸社)『船木和喜をK点まで運んだ3つの風』(学習研究社)『眠らないウサギ―井上康生の柔道一直線!』(創美社)『末続慎吾×高野進--栄光への助走 日本人でも世界と戦える! 』(集英社)『泳げ!北島ッ 金メダルまでの軌跡』(太田出版)ほか多数。

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