「炭鉱の地のサイドバック」 “ウッシー”と炭鉱夫が描いた夢
年季の入ったテレビでサッカーの試合を見ていると「ウッシー」という声が自然と聞こえてくる 【写真:アフロ】
ゲルゼンキルヘン中央駅を出ると、ビールメーカーのネオン輝く小さなパブがある。
石炭を使った蒸気機関車の絵が目印だ。重いドアを押すと、そこは低所得者層の溜まり場だった。ビールを頼むとグラスではなくプラスチックで出てきた。シャルケのスポンサーでもある地元ビール、Veltins(フェルティンス)のロゴがどこか悲しげに映る。
店内にある年季の入ったテレビでサッカーの試合を見ていると「ウッシー」という声が自然と聞こえてくる。日本での内田篤人の人気はすさまじく、さびれた街にも尋常ではない数の日本人がやってくる。特に観光資源もない辺鄙なところに、なぜ? 当初、地元の人は不思議がったが、内田人気がドイツでも知られた今日では日本人がいてもまったく珍しがられない。
パブの人々を観察していると、彼らがこの日本人サイドバックを愛しているということが伝わってくる。
スタジアムに行く路面電車の中でもそれは感じられた。「ウッシー」という声が、ビール臭い息と応援歌に混じって、あらゆるところから笑顔とともに届けられる。がたぴしいわせながら進む路面電車の中で目の前に立った屈強な男の手が目に入った。
それは人生で見た中で最も分厚い手のひらを持つ男だった。表面は白く変色しており、ほとんど骨化したかのように硬くなっている。炭鉱夫であるわけはない。炭鉱産業はほとんど消え去ったと聞く。重い荷物を持つ仕事か、建設系の現場労働者か。いずれにせよその肉体から絞り出す力を対価に生計を立て生きる人だ。
彼は駅で降りると、人波に紛れてスタジアムへと消えていった。
ゲルゼンキルヘンは炭鉱の街だ。
まだ石炭に黄金の価値があった頃、この地域は栄え始めた。やがて訪れる産業革命は石炭産業を巨大化させ、街にあらゆる富が集中した。先端エネルギーのある所が潤うのは世の常で、戦前までゲルゼンキルヘンはドイツ有数の都市だった。しかし、いまはその名残すら残っておらず、華やかな時代の思い出は昔を知る老人の薄暗い記憶の中にだけ生き続けている。現在の人口は最盛期の約半数の25万人でしかない。
内田と話をする機会があった。負傷中の彼はしばらくピッチに立っていない。
内田はいつものように淡々と語った。
「もう、この膝は消耗品になっているんです。それは仕方がないし、休みながらやっていく。ここからどれだけサッカー選手でいられるか、ということを視野に入れながらの膝になってしまった」