「華の都と約束のユニフォーム」 中田英寿を追いかけたフィレンツェの一年
中田英寿は2004年フィオレンティーナへ移籍。ケガなどもあり、思ったような活躍はできなかった 【写真:Enrico Calderoni/アフロスポーツ】
フィレンツェに移り住むためにトスカーナへと向かったのは、2004年の夏のことだった。
それまで住んでいたイタリア半島の最南端、ちょうど長靴のつま先のあたりから、古いフィアットにありったけの荷物を積んで北を目指した。友人のアレッサンドロとアントニオも一緒についてきた(カラブリアには時間を持てあましている友人がたくさんいた)。
カラブリアの田舎を出てフィレンツェに向かうというのは、かの地の人々にとってはこれはもう大変な騒ぎである。彼らはもう人生で二度と僕に会えないと思っているふしすらあった。何度かのさよならパーティがあり、何度かの抱擁があった。まるで戦地にでも向かっているかのようだった。
フィレンツェに住むことを決めたのは、そこがとても美しい街だったからだ。イタリアは人を魅了する街であふれている。しかしそんなイタリア基準で見ても、フィレンツェには特別な何かが漂っているように思う。大都会ミラノにも、世界遺産だらけのローマにも、野生的なナポリにもない華やかさが街全体をやさしく包んでいる。都市そのものが芸術作品といえるようなところはそう多くはない。
南のゆるりとした生活も気に入っていたけれど、一度は中部に住んでみたいという思いもあった。そんなときに中田英寿がフィレンツェのチーム、フィオレンティーナに移籍した。南を出るタイミングはここしかなかった。
「遠いなあ、フィレンツェ」
アレッサンドロがため息をつく。僕らを乗せたフィアットは変な色の煙をまき散らしながら、はてしなく続く道をがたごと揺れながら走った。午後二時に出発したが、でこぼこ状態の道に悩まされ、ナポリにたどり着くまでにかなりの時間を要した。それでもナポリを出たあたりから道は急に改善され、車は偏西風をとらえた船乗りみたいにすいすいと進んでいった。イタリアでは道路の状態にその地域の経済力が出るのだ。
狭い車内ではずっとカルチョの話をしていた。それぞれ好きなチームが違ったから、テレビで試合を見ていると喧嘩になることもあった。ただこのときは車内が気まずい空気になるのを避けたかったのだろう、互いのクラブのことを褒めあうという奇妙な現象まで起きていた。人は逃げられない限定された空間では妙に団結するものだ。
1990年代を代表するストライカー、バティストゥータ。フィオレンティーナで9年間プレーし、リーグ戦通算168ゴールを挙げたフィレンツェの英雄だ 【写真:ロイター/アフロ】
アイドルはバティストゥータだ。フィオレンティーナ史上最高の選手である彼は、たぶん僕がこれまでに見た中で一番ストライカーらしいストライカーだ。
長髪を揺らして放つ右足のシュートはカリブの嵐みたいに凄まじく、その一本一本には怒りに似た感情さえ込められていた。彼のゴールの多くはネットの天井を突き破りそうな威力だった。技術で何かをするタイプじゃなく、ドリブルもほとんど見たことがない。現代では不器用なフォワードと言われるかもしれない。それでも彼はストライカーとしての絶対的な形をもっていた。ゴール右45度から決めるゴールは爽快だった。あんな豪快さをもったストライカーはいまではほとんど見かけない。
はじめてフィレンツェを訪れたのは10代最後の年のことだったが、その時に生で見たバティストゥータの迫力をいまも憶えている。
「それで、いつもらってくれるんだ? バティストゥータのサイン入りユニフォームは」
アレッサンドロは何かと僕にバティストゥータのユニフォームをねだってきた。サッカーライターをしていると簡単にもらえるものだと思っているのだ。何百回目かの彼の催促を受け流した。どうせまた明日にでも言われるんだろう。
道中、ジョイア・タウロとサレルノとナポリとローマで休憩を挟み、フィレンツェに着く頃には深夜になっていた。3人ともへとへとだった。半島を3分の2くらい縦断したのだから当然だ。それでも、深夜のフィレンツェの美しさに誰もが言葉を失っていた。
街はすべてが輝いて見えた。ドゥオモ広場には観光客がたくさんいて、絶えず賑わっていた。シニョリーア広場の荘厳な雰囲気。通りを歩くトスカーナの女性は南部女性よりも優雅に映り、公園の犬さえもどこか上品だった。僕らは田舎からやってきた新参者だった。
アルテミオ・フランキの近くのミッレ通りにアパートを借りた。バティストゥータがフィオレンティーナでプレーしていた頃に住んでいたエリアだ。アパートは最上階にもかかわらずエレベーターもなく、部屋は狭かったけれど、小さな窓から見えるオレンジ色の屋根がひと目で気に入った。近くのベンタッリオ公園の池を鴨が気持ちよさそうに泳いでいた。
アレッサンドロとアントニオはしばらくの間現実から離れた都の生活を楽しみ、しばらくするとマンマの手料理が恋しくなったのか、鞄にトスカーナ土産をたくさん詰めて帰っていった。
「バティストゥータに会ったらよろしく伝えてくれ。サインをくださいと」とアレッサンドロは言った。きっとそうする、と僕はそっけなく答えた。フィレンツェに住んだ1年間、バティストゥータに遭遇したことは一度もなかった。