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試合中止や中断でも楽しめるコンテンツを
Bリーグ広報責任者がファンに伝えたい事
担当者同士でメッセージアプリなどを使い、密に連絡を取り合っている
担当者同士でメッセージアプリなどを使い、密に連絡を取り合っている【スポーツナビ】

 Bリーグは新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、矢継ぎ早の意思決定を強いられた。2月末からB2も含めた36クラブとの向き合いを増やし、情報の共有や議論を行っている。一方で外国籍選手を中心とした試合開催への抵抗感の高まり、直前の試合中止など、Bリーグにとって想定外の事態も起こった。


 増田匡彦はBリーグ発足以前からリーグの運営や事業に関わり、東日本大震災やクラブ経営などの危機対応にも携わったキーパーソンのひとりだ。現在はBマーケティングの執行役員、リーグの広報責任者として大河正明チェアマン、古川宏一郎COOとともに重要な議論や実務へ関わっている。


 難局にあってBリーグはどう事態を受け止め、どうクラブや選手と向き合い、どうやって時々刻々と変化する状況へ対応したか。そして今後に向けてどのような用意をするか。経緯と考えを、リーグの内側から語ってもらった。(取材日:3月20日)

延期でもポジティブなメッセージを

――Bリーグの新型コロナウイルス対応はどのような体制ですか?


 古川が大河と議論をして、大きな方向性を決めたうえで、競技が数野(真吾)、広報は私の担当で、古川も含めた3人がLINEなども使って密に打ち合わせています。別のメンバーも関わっていますけれど、その3人で内容を固めて大河に確認して進めています。


――増田さんはどの部分をカバーしていますか?


 会見、ウェブやSNSへのアップは一般的な広報業務として関わります。Bリーグは延期した後にいったん再開をしたわけですが、ポジティブなメッセージを出そうという発想が強くありました。「中止する・しない」は競技運営グループや古川で決めていましたが、決まったときにどう出していくか――。“B.LEAGUE EVERYWHERE”のようなテーマを出して、ファン・ブースターがまるで会場にいるような環境を作りました。そうやってメッセージが出せるように仕上げていったのは私の方です。


――リーグの最高意思決定機関である理事会、各クラブのトップが参加する実行委員会の議論は新型コロナウイルス問題が起こってからどう進んでいますか?


 通常は理事会が月に一度です。実行委員会は、全36クラブを毎回集めるのが難しいため、普段は「幹事会」を月に1度開催して10クラブくらいが参加しています。B1の東・中・西、B2の東・中・西から1クラブ以上で、琉球ゴールデンキングスの木村(達郎)社長のようにリーグを俯瞰(ふかん)して見られる方にも入っていただいています。

 各地区の代表として入っているクラブは「各地区の中で意見をまとめてきてくれ」という位置づけです。

――臨時の実行委員会もあったと聞いています。


 全員が集まる実行委員会は、4カ月に一回くらいでした。新型コロナウイルスの問題が発生してからは幹事会でなく、全体の実行委員会を頻繁に組んでいます。

 緊急臨時実行委員会をまずやったのが2月25日で、36クラブ合同でやりました。翌26日にはB1、B2それぞれでやりました。当時の議論はまだ延期くらいのレベルで、日本全体や各クラブの温度感も「イベントくらいはやって大丈夫」というものでした。


 B1なら少しくらい試合が中止になっても、経営が揺らぐクラブはもうないと思います。しかしB2は昇格が懸かっていますし、B1に比べて経営的に難しいクラブが多い。B1とB2を一緒にやったら意見集約ができないと言う判断で、26日の実行委員会を分けたんです。


――3月に入ってからはどうですか?


 3日に幹事会をやりました。定期の幹事会ですがタイミング的にちょうどよかった。その後9日にもう一回B1・B2の合同実行委員会を開いて、ポストシーズンの話をしました。実行委員会が増えた理由は、経営に直結する話はクラブの意見集約がまず大事だからです。


 翌10日に定例の理事会をやってポストシーズンの短縮と後ろ倒し、無観客による14日の再開を決めました。このとき理事から「基本的には大河チェアマンに一任する」という話が出ました。

「緊急事態でその都度理事会にはかっているとスピード感が落ちてしまう。大河さんの総合的な判断で決める」という合意が理事の間でありました。Bリーグの価値を毀損(きそん)しないことを大前提に、大河に一任された形になりました。


――3月14日、15日の無観客試合開催を受けて、再び実行委員会がありました。


 16日に選手会をやって、翌17日にB1・B2の合同で実行委員会を組みました。23日にも実行委員会をやろうという話になっています。4カ月に1回のペースだった実行委員会を、2月25日以降の1カ月で4回やっています。


 実行委員会は36チーム中の30チーム前後がウェブを通した参加です。毎回オフィスに来ていたら、首都圏以外のクラブは移動に半日使うようになってしまうのと、緊急的に開くためにはウェブ会議ではないと遠方のクラブは参加できません。

「選手会と直接コミュニケーションを取りましょう」

緊急事態に選手会とのコミュニケーションを強くすることは重要だと語った
緊急事態に選手会とのコミュニケーションを強くすることは重要だと語った【スポーツナビ】

――2月末の時点では「やれるならやろう」というマインドも強かったと思います。


 3月14日と15日と1日の差がものすごく大きかったです。3月10日に無観客での再開を、“B.LEAGUE EVERYWHERE”としてやりましょうと出して、その週末にやりました。

 しかし14日に中止というトラブルが起き、翌15日の朝イチに大河、古川、数野、私の4人がメインで緊急会議をしました。


――どのような議論をしたのですか?


「15日の試合を本当にやるのか?」を午前10時から議論しました。厚生労働省が出しているガイドラインを参考に「37.5度が2日連続で出たら自宅待機にする」というルールを作った中で、14日の川崎対北海道の中止は相当イレギュラーな判断でした。ルールにのっとったら、そのまま開催できたので。それを私が報告をして、大河にジャッジしてもらって中止と決めました。


 他のクラブからしたら「なぜ中止にするの?」と違和感を持ったかもしれません。現場の温度感を知らない方からすると「やってしまえばよかった」という感覚も強かったでしょう。


 さまざまな疑問、混乱がある中で「15日はどうしよう」という話をしました。当事者は感情的になっている部分もあるし、情報を正確に把握していない中で15日に止める判断は危険という理由で、やり切りましょうと意見を出しました。


――選手、ヘッドコーチなどから開催を疑問視するコメントも相次ぎました。


 「選手会と直接コミュニケーションを取りましょう」「選手会と僕ら、クラブの三者を含めてしっかり決めて、みんなが納得するガイドラインの中でやりましょう――」。「そういう動きをするから選手たちも頼む……」ということで(15日に)田口成浩選手会長と竹内譲次選手(前会長/現監事)の二人に電話をしたんです。


 もちろん「責任を持って頑張ります」と言わせるわけにはいきませんので、あくまでリーグの方針を直接伝えた上で15日は試合を行いたかった。そして16日に選手会、17日に実行委員会の意見集約をした上で、それ以降の95試合を中止にしました。


――14日、15日の2試合中止はリーグにとって計算違いだったと思います。


 選手の実情や感情を拾いきれていなかったと思います。一番リスクがあるのは選手ですし、マスクを付けて試合をするわけにもいかない。ボールを毎プレーごとに除菌するわけにもいかない。敏感になるのは当然理解できます。一方でそのコミュニケーションに選手会を最初から入れておけばよかったかというと、それも難しかった。ただ緊急事態に選手会とのコミュニケーションを強くしていく流れは、重要な判断でした。

大島和人
大島和人

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都町田市に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。バスケットボールやサッカー、野球、ラグビー、バレーなどの現場にも小まめに足を運び、試合観戦数は毎年300試合を超える。日本を実はサッカーだけでなくバスケ強国であるスペイン、バレー王国・ブラジルのような球技大国にすることが一生の夢で、“球技ライター”を自称している。

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