厚底シューズが選手の意識を変えた? 東京マラソンが示した、勝つための新基準
好記録が連発した東京マラソン
大迫傑(写真)の日本新記録をはじめ、東京マラソンで好記録が連発したのはなぜか 【写真は共同】
その要因のひとつには、序盤は下り坂であとは平たんという記録が出やすいコースであることや、スタート時の気温が11.5度、湿度は46.4%と好条件だったことがある。レース終盤には気温は15度以上まで上がったが、湿度は変わらず、少し出てきた風は選手たちが感じる暑さを軽減させる効果もあった。雨にたたられた昨年とは違い、疲れが出てくる終盤になってもエネルギー切れを起こさせるような要因がなかったというのが、結果につながったのだろう。
自己記録を1分17秒上回る2時間6分45秒をマークした高久龍。本人もびっくりの好記録だった 【写真:松尾/アフロスポーツ】
30キロでペースメーカーがいなくなり、集団のペースがガクッと落ちると逆に脚に来てしまったという高久。ここは自分のペースで行った方がいいと考えて、集団を引っ張ったことが記録につながった。「37キロくらいで上門さんと2人になり、まだ余力はあったけど1人で引っ張るのはさすがにきつくなったので、後ろを向いて『まだ余力ありますか』と聞いたら『あっ、引きます』と言って前に出てくれたので。40キロ過ぎの給水でペースを上げたら後ろが離れた感じだったので、そこからはひとりで逃げました」と話す。
自己記録が2時間9分27秒だった上門も、「記録を意識していなかったわけではないですが、そんなに注目されていなかったので、ほぼノンプレッシャーという感じで行けました」という。指導する犬伏孝行監督も「(東京五輪マラソン代表選考の設定記録である)2時間5分49秒は考えられなかったので、7分台かよくて6分台という感じでした。後半は粘れる選手で、30〜35キロまで行けば、そこからは(5キロごとのペースが)16分台に落ちることは考えられないので、(レースプランは)第2グループの2分58秒ペースでどこまで行けるかという感じでした」という。上門自身もレースに向けては「後半はもともと自分が持っている能力を信じて、スピード練習に取り組んできた」と話す。
過去の6分台ランナーは後半にペースアップ
だが、いくら可能性を持った選手が多くても、そのペース自体にとらわれ過ぎてしまうと、前半で体だけではなく頭のエネルギーも使い過ぎてしまい、後半に失速してしまう。さらに「記録を出さなければいけない」という力みも出てしまい、それぞれの選手の記録達成を阻んできた。
1999年のベルリンマラソンで日本人初の6分台である2時間6分57秒を出した犬伏孝行の場合、中間点通過は1時間3分54秒で、前半は5キロごとのラップタイムが15分10秒前後のペースだったが、20キロ以降は14分43秒、14分59秒とペースが上がり、流れにうまく乗って記録を出した。また2000年の福岡国際マラソンで2時間6分51秒を出した藤田敦史は、ラスト5キロを14分台に上げて勝負することを意識しており、中間点通過は1時間3分28秒だが、36キロ手前からスパートすると35〜40キロを14分44秒でカバーし、ラスト2.195キロも6分23秒で走った。後半から終盤にかけてペースを上げる意識を持って取り組んでいた成果が出た結果だ。