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ライオンズ黄金時代同窓会
ライオンズ「黄金時代」はどう始まった?
東尾、石毛が明かす“管理野球への抵抗”

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ライオンズは今年で70周年を迎えた
ライオンズは今年で70周年を迎えた【写真は共同】

 福岡の地に西鉄クリッパースが生まれ、西日本パイレーツとの合併を経て1951年に誕生したのが西鉄ライオンズだった。そしてこの「ライオンズ」という名は現在に至るまで70年もの間、受け継がれている。その伝統の中で燦然(さんぜん)と輝くのが、1980年代から90年代、特に1982年から1994年の13年間で4連覇、5連覇を含む計11度のリーグ優勝と8度の日本一に輝いた「黄金時代」である。その中核を担った重要人物たち、東尾修、石毛宏典、辻発彦、渡辺久信の4氏に2月某日、キャンプ地である宮崎・南郷の料理を肴(さかな)に集まってもらった。(敬称略)


進行役:上野晃(フリーアナウンサー)

黄金時代への序章

ライオンズ「黄金時代」のメンバーが集結。左から東尾修、辻発彦、渡辺久信、石毛宏典
ライオンズ「黄金時代」のメンバーが集結。左から東尾修、辻発彦、渡辺久信、石毛宏典【(C)SEIBU Lions】

――みなさま、お久しぶりです。懐かしい面々が集まっておりますが、ライオンズは今年、めでたく70周年を迎えることになりました。


石毛 東尾さん! 一緒じゃん!


東尾 そうそう。私もちょうど今年で70歳になるからね……。でも今年になって偶然気がついただけで、それまでは正直、知らなかったよ。


――70年というのは長いですが、その中でもやはり所沢に来てから。1979年に「西武ライオンズ」になってからが印象深いです。これは東尾さんにお聞きしますが、もともとは福岡に本拠地があったわけですから、最初は所沢に来ることに関して抵抗もあったのではと思いますが?


東尾 まぁ、その前にクラウンライター(編注:西武ライオンズの前身。1977年に命名権を得たが、78年オフに福岡野球株式会社が西武グループに経営権を移譲したため、わずか2年で姿を消した)の時代もあったし、僕自身は球団名が変わるのは慣れていた。西鉄から太平洋になった時もチームにいたからね。でも、フランチャイズも移転は驚いた。まず所沢がどこにあるのかわからなかったし、福岡にいるとそうなんだけど、西武という会社がどんな会社なのかも知らなかった。そういう状況で引っ越しを始めたんだけど、どこ住もうかって……。全然わからないし、俺は家族を福岡に残しての単身だったから、どういうわけか目白に住んだんだよ。キャンプも初めは品川プリンスホテルの前で、そこから下田、フロリダ、ハワイに行って開幕直前までの長期キャンプ……。グラウンドも最初はできてなかったからね。


――キャンプでの調整失敗も言われましたが、開幕から12連敗というスタートとなり、前期は最下位、後期も5位という初年度でした。監督は根本(陸夫)さんで、根本監督はその前のクラウン時代からの続投でしたから違和感はなかったはずですが? (編注:パ・リーグのみ1973年から1982年にかけて2シーズン制が実施された)


東尾 それはなかったし、メンバーもすごかった。野村(克也)さんや田淵(幸一)さんや土井(正博)さんやみんないてさ。でも練習ではボンボン打ってるのに、試合やったらボコボコにやられてね……。だから最初はやっぱり寄せ集めだったんですよ。九州から来たメンバーと新しく入ったメンバーを寄せ集めたチームだった。


――球団としては、西鉄時代の1963年を最後に優勝がなく、低迷していました。西武ライオンズになってもなかなか勝てなくて、やっぱり優勝に飢えていましたか?


東尾 飢えていたというか、縁がないと思っていた。一応、春のキャンプの時なんかでは言うよ「優勝を目指して」って。でも実際は……ね。

ベースボール・タイムズ
ベースボール・タイムズ

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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