井川キラーとして名を馳せた福井敬治 元気と大きな声で戦い続けたプロ生活
意外性あるバッティングと明るいキャラでファンから愛された福井敬治(写真右)。豪華メンバーを擁する当時の巨人で、一軍で戦い続けることができた理由とは? 【写真は共同】
※リンク先は外部サイトの場合があります
予想していなかった巨人からの指名
「ところが、キャンプでいきなり衝撃を受けました。原(辰徳)さん、落合(博満)さん……。あの時代です。“新人の福井です”とあいさつしているだけなのに、強烈なオーラを感じる(笑)。僕は大概のことでは動じないんですが、あのときばかりは結構動揺しましたね」
1年目は木製バットへの対応に四苦八苦。なかなか芯で捉えることができず、4本連続してバットを折った日もあった。「一体何本折ったら気が済むんだ」とコーチにからかわれた。ようやく木製バットに慣れ始めると、今度はケガに悩まされた。
一軍ベンチで野球が見られるだけでも幸せ
現役時代は、ひたすら川相昌弘さんのマネをして守備がうまくなったという 【撮影:スリーライト】
「打つほうも好きだったけども、守備はもっと大好きだったから、どんどんうまくなりました。二軍でお世話になったのは河埜和正コーチです。試合の日も5回まではずっとサブグランドで壁当てとノック。基礎から叩き込まれました。そうして一軍に行ったときは、川相(昌弘)さんの守備を見ながら、ずっとマネをしていましたね。ボールへの入り方、捕ってからの足のステップ、送球……。マネをするのが、うまくなるための一番の近道だった。一軍ではバッティングより常に守備のことしか頭になかったです」
長嶋監督が最後に指揮を執った2001年に守備で出場機会を増やし、原監督誕生の02年には阪神・井川慶から甲子園で決勝ホームラン。この年、井川から2本塁打し、『井川キラー』と呼ばれた。東京ドームではヤクルトの“ロケットボーイ”石井弘寿から、サヨナラホームランを打った。
原監督が福井を買っていたのは、何よりその元気の良さだった。あるとき、福井は原監督にこう言われた。
「お前の元気と声が、ベンチには必要なんだ」
そこに安定した守備が加われば、指揮官としてもベンチに置いておきたくなるというものだ。
「(守備要員でも)最高ですよ。だってベンチの一番いいところで、野球を見られましたもん。試合に出られなくても、自分のためになることはたくさんあります。松井(秀喜)さん、高橋(由伸)さん、二岡(智宏)君、仁志(敏久)さん、清水(隆行)さん、江藤(智)さん、清原(和博)さん……。そんなメンバーですよ。その人たちをベンチで見ているだけでも勉強になるんです。それで勝っている試合の最後、守備固めで出ることができたんですから、楽しかったですよ」